第7回 一円玉と私~天野先生のひとりごと~

6時半、いつも通りバス停でバスを持っていた時のこと、ふと足元を見ると1円玉がポツンと一つ道路に落ちていた。
6時台は、車の行き来も少なくて、それだけにその1円玉が目についた。
そして「拾うべきか拾わざるべきか」と、私は迷い始めたが、「落ちていた事に気がつかなかったことにしよう」と思って1円玉から目を離した。しかしバスが来ないため、また目は1円玉に向いた。1円玉はじっとしたまま白く光っている。
でもまた「気がつかなかったことにしよう」と心の半分が決めた。すると「1円を笑うものは1円に泣く」という言葉が脳裏をよぎった。どうしようかなとまた迷い始めた。

1円玉を拾うか拾わないかでそんなに迷う様な事でもなかろうにと、誰もが思うだろうが、私にとっては大きな問題なのだ。

というのも、腰の手術をした後、下肢が痛んでこごんだり、しゃがんだりするのが大きな負担になっている。靴下の着脱も一苦労の状態になっているほどで、立ち上がる時には、何かにつかまるか何かに手をつくかしなければならない。
バス亭の周辺には、それがない。だから「よっこらしょ!」と掛け声をかけて痛みに堪えて、踏ん張って起きあがらなければならない。つまり、それをやるかやらないかが、拾うか、気付かないふりをするかの決め手になるのだ。

いろいろ迷った末、1円玉を拾い上げた。

1円玉を手にして、思わず出た言葉が「かわいそうに・・・」だった。
その1円玉は、車に轢かれ弾き飛ばされ続けていたのか、周りはささくれ、形は変形していて何とも痛々しい形になっていた。1円玉は小さくて軽い。そのせいか過去に変色したものを手にしたことはあってもここまで傷ついたものを見たことはない。この1円玉も1円玉としてその役割を果たしてきただろうに、今は見向きもされない1円玉になっている。1円玉はそれをどんな思いで受け止めているのだろうか。
なんだかせつなくなってきて、「いつまでも大事にもっていよう」とポケットの中に忍ばせた。

バスが来て、私と1円玉の物語は終わりになった。

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