第4回 歳などとっている場合ではない~天野先生のひとりごと~

 昨年(2013年)3月に変性すべり症の手術をしました。
入院は10日間でしたが、目にする患者さんは高齢者ばかり。その後2週間に一度の割合で通院していますが、待合室に居る人はほとんどが高齢者。これまであまり年齢を意識しないで生きてきただけに、自分が「高齢者」だという現実のなかでいま複雑な心境になっています。
そんな思いを抱えながら書類を整理していたら、昨年綴った文章が出てきました。山口絵里子さんの生き方に大きく心を動かされ、その時に感じたままを文字にしたものです。
まさに、その時の天野優子の胸の内です。

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 最近、山口絵里子さんの書いた『裸でも生きる』〈講談社刊〉を読んだ。
山口さんはそれこそ全力を尽くしてバングラディッシュでのモノづくりの可能性を製品化とショップを通して夢を具現化している若き女性だ。
通勤時の電車の中、バスの中で読んでいるため一息に、と言う訳にはいかなかったが、読み進むたびに胸がジンとして眼が涙で霞んだ。幼稚園作りに取り掛かった頃の自分の姿ともダブった。
でも、私よりもずっとずっと彼女は透き通った芯を持っている人だと思った。

幼稚園を運営して、今年で16年。
いつの間にか私の心は輝きを失ってきているような気がした。
彼女が「発展途上国の可能性を開花させたい」と心から思っているように、私も「子どもたちの持つ可能な限りの能力を、引き出し結実させたい」と願っている。

そもそも幼稚園を創ろうと思ったのは、「大人たちの身勝手なまやかしの中で、子どもを育ててはならない」と強い気持ちを持ったからだ。
だから、どんな事があっても「子どものために」の路線から外れることはなく突き進んできた。その結果たくさんの子どもたちが、私の心を受けとめて育っていった。それがまた私を支え元気の源になった。
 前を向いてなければ前に進めない私は、しゃがみ込むことはあっても前を向いてしゃがみ込んできた。

しかし、体力の問題、年齢問題から来る後継者の問題、経験を積んでも退職ということから継続できない保育力の問題、また、教員の不注意が原因で起きる子どもの怪我の問題などなどで、いつも心がヒリヒリしている。
そのうえ、体の痛みが原因して、思うように動けない自分に対するいら立ちも加わり、知らず知らずのうちに、子どもへの思いが薄らいでいるのではないかと思えた。

山口絵里子さんのひたすら前へ歩もうとするその心に触れて、どんな困難さに対しても常に原点に立ち戻り、自分の思いを変えないで前へと進む彼女を知って、私の困難さなど比較にもならないと思った。

幼稚園を創ろうと思ったのは48才だ。
もうその時から“先が短い”ことは分かっていた。ならば、老いることを恐れず命尽きるまで全力投球する。
それが私の生きる道なのだと決意していたはずなのだ。

幼児教育とは、人間の芯を育てる仕事だ。人間の芯を育てる仕事は、本気で子どもと向き合い、その子の成長とともにその子が人間としての揺るぎない自己を形成できるようにしてやることだ。

山口絵里子さんの話は、心が縮少気味になって来ていた私への、強烈なパンチのような気がする。
いつも思っていることだが、私は歳などとっている場合ではないのだ。私の持っているエネルギーを全て子どもに注ぐべく、ここに私がいるのだから。

そして、新たに考えたことは
「個性を育てる」という言い方に対してだ。
「個性」と言う言葉を「生き方」という言葉に置き換えるとより分かりやすくなる事に気が付いた。
自分の生き方を持てるようにするには、意志を育てることだ。
「自分はこう生きたい」という意志と意欲の前では、「個性」と言う言葉が空虚に感じられる。
子どもたちの中に、「自分はこう生きたい」そして「自分が思うように生きるにはどうすべきか」という意志を育てるには、風の谷で大事にしている“優しく元気で賢い子”という教育目標に向かって実践されているカリキュラムが原型だ。
どんな社会でも困難さはある。大事なのはその困難さとどう向き合うかだろう。
山口絵里子さんの困難、苦境に比べれば、日本社会にいる私の困難さや苦境など大した問題ではない。

私には、子どもたちがいる。
風の谷を愛してやまない親たちがいる。
そして、理想の幼児教育を目指して骨身を惜しまず献身的に働く教員たちがいる。
教員の入れ替わりがあろうとも、志をもって集まる人さえいれば風の谷の理想は引き継がれていくのだから、明日を心配するのは止めようと心に決めた。

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