10. 「鬼ごっこ」は大人への第一歩

鬼につかまって大泣きするのは麻子ちゃんです。ものすごい勢いで泣くので、つかまえたほうが驚いたり困ったりで近づけません。
そんな中、一美ちゃんが何食わぬ顔で「はい、鬼の帽子ちゃんとかぶってね」と手渡すとしぶしぶ受け取ってかぶります。
つかまった悔しさをまず泣いて発散させて、それからじゃないと鬼にはなれない麻子ちゃんなのです。
                                                                 花組 学級通信「すくすく」より

これは天野園長がかつて勤務していた幼稚園で書いた学級通信の一節だ。子どもが大きな声で泣いている様子が目に浮かぶようだが、先生の対応は落ち着いたもの。これも大切な成長の過程との認識があるからだ。そして、この「鬼ごっこ」は風の谷幼稚園にも脈々と受け継がれている。たかが「鬼ごっこ」と思うなかれ。これに秘められた教育意図と、その結果としての子どもたちの成長ぶりを聞けば、風の谷幼稚園の「鬼ごっこ」の奥深さがご理解いただけるだろう。さて、天野園長は「鬼ごっこ」を通じてどんな力を育もうとしているのだろうか?

追いかけるのは楽しいけど
追いかけられるのは怖い

結論から言うと「悔しさと折り合いをつけられるようになること」「状況に合わせて行動できること」「社会性を育てること」などが主な目標だ。では、なぜ「鬼ごっこ」を通じてこのような力が育まれるのか、順を追って説明していこう。

まず「鬼ごっこ」と言ってもいろいろな種類がある。生まれて初めて経験する「鬼ごっこ」は、多くの場合、家庭で親に追いかけられる遊びだろう。親が「待て、待て~」と言いながら子どもを追いかけると「きゃっきゃ」と子どもはうれしそうに逃げ回る。そして、つかまっても大喜びだ。

ところが、家庭を出て幼稚園で「鬼ごっこ」をするとなると、少し事情が変わってくる。

「幼い子どもにとって、追いかけられるというのは怖いことなのです。さらに、自分を追ってくる人が1人ではなく複数になると、その恐怖心は大きくなります」(天野園長)

つまり、家庭という場で絶対的な信頼関係で結ばれた親から追いかけられることは子どもにとって楽しいことだ。しかし、幼稚園という場で複数の仲間から追いかけられることは怖いことであり、最初の経験がトラウマになってしまうこともあるという。

そこで、風の谷幼稚園の年少児クラスでは、まず子ども全員で先生を追いかけるという遊びからスタートする。追われるのはイヤだが追うのは楽しいのだ。まずは安全な側から始めるのである。(ちなみに風の谷幼稚園では、年少児の最初の段階では、「鬼ごっこ」という表現は使わず「追いかけっこ」と呼ぶことにしている。「鬼」という言葉に恐怖心を抱く子どもに配慮してのことだ)

そして、先生が捕まっても平気にしている様子を見て、子どもたちは「追いかけられて捕まっても平気」という認識を持ち始める。そこで「捕まっても平気な子ども」を見極めて、少しずつ追われる立場を経験させるようにする。この段階では全クラスの3分の1くらいが「捕まっても平気な子ども」になるが、残りの3分の2はやはりまだ怖いままだ。

それと並行して「がらがらどんの鬼ごっこ」や「狼さん、今何時?」などの虚構の世界での「鬼ごっこ」(風の谷幼稚園ではこれを「ごっこの世界での鬼ごっこ」と呼んでいる)を経験させていく。虚構の中では、リアルに追いかけられるような恐怖はないので、鬼に追いかけられ捕まるということも素直に受け入れやすい。こうして丁寧に恐怖心を取り除いていく。

ちなみに「狼さん、今何時?」は多くの方が経験されているかもしれないが、この遊びのポイントは「自分が逃げ込む場所が確保されている」ということにあるという。逃げ込む場所があるから、子どもたちはスリルを味わいながら先へ先へと冒険をしていけるようだ。

本気で遊ぶからこそ子どもたちは学ぶ

こうした準備を積み重ねた後に、次に待っているのは「ひっこし鬼」だ。これはネズミと猫とに分かれ、ネズミには2つの陣地がある。そして「ひっこしだ!」の掛け声に合わせて、猫に捕まらないようにもう一方の陣地に逃げ込まなくてはならない。

この「ひっこし鬼」、子どもたちにとっては真剣勝負そのもので、そのときの反応も激しいものがある。再び学級通信を見てみよう。

必死で逃げる文平くんをこれまた必死で追いかける麻子ちゃん。両手で文平くんにタッチです。まさに体当たり的タッチのため文平くん、すっとんで尻もちをつきました。
痛さと悔しさで怒り泣きの文平くん、「バカッ、バカッ!」の連発。望くんに助け起こされても気持ちがおさまらず、麻子ちゃんになぐりかかっていきます。麻子ちゃんは泣きだしそうな顔をしていましたが、されるがままにしています。
「文ちゃん、もうやめな」と私が声をかけると同時に、文平くんのパンチが一発、麻子ちゃんのボディに入りました。それでも麻子ちゃんは泣き出しませんでした。(当然、大泣きをするだろうと思っていたので、これは意外でした)
文平くんのほうは先生からストップがかかったということとパンチが入ったということで怒りがおさまったのが「このバッカやろう!」という捨てゼリフを残して鬼の陣へと向かいました。
文平くんが鬼の陣へと歩き出すのを見送ってから麻子ちゃんも鬼の陣へ引き上げていきました。
                                                                 花組 学級通信「すくすく」より

この他にも、あちらこちらで泣き声、怒声が響き渡る。この動物的感情を丸出しで戦う(?)子どもたちを先生は見守り、一線を越えたと思えば飛んで仲裁に入る。これを繰り返す中で「捕まったら鬼にならなきゃいけない」という現実を直視し、受け入れ、気持ちを切り替えられるようになってくるという。そして、ようやく「鬼ごっこ」を遊びとして楽しめるようになるのである。

「子どもにとって捕まって鬼になるのは悔しいこと。とくに年少児の段階では自分の感情が十分コントロールできないので、言い争いになったり、泣いたり、女の子同士で平手打ちが飛ぶこともあります(笑)。しかし、この心の底から湧いて出てくる悔しいという気持ちと折り合いをつけなくてはならないこともある。そのことを『鬼ごっこ』を通じて学ばせたいと思っています」(天野園長)

このレポートでも再三指摘しているとおり、風の谷幼稚園では体感を非常に重視している。つまり「頭で理解すること」と「体で知る」ことは別物であり、大切なことを教えるためには頭で理解するだけでは不十分と考えているのだ。必死で逃げたけど捕まった悔しさが体中にほとばしっているときだからこそ、気持ちの切り替えを教える最高の機会だ。先生たちはこの機会に、一人ひとりと正面から向かい合って、気持ちを切り替えるということを丁寧に教えていくのである。

また、鬼ごっこに慣れてくると、子どもたちは鬼の行動を観察し、「どうしたら捕まらないか」という答えを直感的に導き出し逃げ回る。迫る鬼の緊張感の中で「状況に合わせて行動できる力」が少しずつ芽生え、育っていく。

「鬼ごっこ」に秘めた、深い教育意図について語る天野優子園長

では、鬼ごっこで社会性が育つというのはどういうことなのだろう?

「現実を受け入れて自分が鬼になることを経験することは、鬼になりたくないけどなった人の気持ちを理解することにもつながります。『遊びの中で社会性が育つ』と言いますが、この実現に大切なことは、子どもたちが本気になって体で感じながら遊ぶことです。自分が本気になって頑張り悔しい思いをするからこそ、同じ立場に置かれた人の気持ちが分かるようになり、思いやりの心が育っていくのではないでしょうか」(天野園長)

つまり、「鬼ごっこ」を通じて自分のことしか見えていなかった年少児が、少しずつ他人の気持ちに思いを寄せ始めるようになってくる。ここでも密着レポート第6回で述べた「人と心を通い合わせる原体験」が用意されているのである。

実に奥が深い話だが、「何を教えるか?」以上に「どのような意図を持って教えるか?」によって教育の意味や価値はまったく違ったものとなるということであろう。子どもに戻って風の谷幼稚園で「鬼ごっこ」をしてみたい。こんなことを思わず考えてしまうのは筆者だけではないだろう。

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