『巣立って行く君たちへ』
風の谷幼稚園での生活は今日で終わりです。
雨の日も、風の日も、汗が流れる夏の日も、雪が舞い散る寒い日も、元気で毎日幼稚園に通ってきました。
そして、紙や粘土や木片や羊の毛を使って、沢山の物を作ってきました。
また、はさみを使い、かなづちを使い、きりやのこぎりや包丁、彫刻刀を使い、無造作に触れれば血が流れる道具類を使いこなせるようになりました。
幼稚園の生活を通して、自分の手が物を生み出す素晴らしい手であることに自信を持ち、自分の足が野山を歩き、海の岩場をものともせずに歩ける足であることに自信を持ったあなたたちです。
仲間の気持ちを考え、励まし、力を合わせ共に育った経験は、仲間っていいなぁ、人間っていいなぁ、そういう思いをみんなの心の中に強く残したことでしょう。
劇づくりを通して、自分を客観的に見る力を育て、太鼓を通して緊張感を持った集中力、そしてその緊張感を維持できるだけの強さをあなたたちは身につけました。
今、あなたたちが風の谷の子どもとして、自信にあふれ誇りを持って輝いている姿が何よりもうれしいです。
幼稚園を卒園していくあなたたちの心に刻んでおいて欲しい事があります。
それは、どんなに苦しくて辛くても、へこたれず、必ず乗り越えられるはずだ、と思える強い心を持った人でいること。そして、困った人がいたら手を差し伸べて、悲しんでいる人がいたら「どうしたの?」と声をかけられる人でいること。
あなたたちの身体と心にいっぱい詰まっている、そのすばらしい力を、これからは大勢の人たちのために役立ててほしいということです。
まだ肌寒さが残る2010年3月16日。この日に風の谷幼稚園の第12回目の卒園式が行われた。「この日に満開になるように」とお母さんたちが準備し玄関ギャラリーいっぱいに飾られた色とりどりの花と先生たちに迎えられて登園する風組の子どもたち。仲間たちとの思い出がたくさんつまった教室で待機し、いよいよ卒園式の開始時間となった。花組(年少児)と鳥組(年中児)と父兄が待つ中庭のステージに現れた風組の子どもたちの姿を先生たちは万感の思いで見守り、卒園式は厳かに始まった。園長から一人ひとりに卒園証書が手渡され、元気に返事をして受け取る子どもたち。そして、園長からは冒頭の言葉が贈られ、風組の子どもたちはいよいよ風の谷幼稚園を巣立っていく・・・。
さて、31回にわたって、お伝えしてきたこの密着レポートも、子どもたちの卒園をお伝えするとともに、今回が最終回となった。長期にわたってお読みいただいた読者のみなさまに御礼を申し上げるとともに、最終回では、テーマとの関係で今までお伝えできなかった印象的なエピソードと取材の感想をご紹介し、この連載を締めくくりたいと思う。
大人の在り方が子どもの未来を決める
人には誠実に、物事には勇敢に。
そして、志を持って、人のために役立つ人になる。
これは天野園長が若い先生たちに向かって繰り返し語りかけている言葉である。冒頭の卒園児たちに贈る言葉を強くシンプルに言い表した、まさに風の谷幼稚園が育てようとしている人間像を端的に表現している言葉と言っていいだろう。そして、子どもたちを導く先生たちにも、それを求めているというわけだ。
実際に園長が先生たちに要求するレベルは極めて高い。この連載期間中、取材に伺ったとき、膝を突き合わせて園長から訓示を受ける若い先生たちの姿を何度も目にし、その厳しさに圧倒されてしまうことがしばしばあった。
「子どもにとって教師は社会を学ぶための強力な手がかりです。つまり教師は教材なのです。先生の子どもへの影響は想像を超えて大きいものがありますから、教師にはよりよい資質と、それを磨く謙虚さと誠実さを私は求めています。そして、妥協なく厳しい要求を教師にしてきているのが風の谷幼稚園でもあります。子どもを育てるということは、それだけ真剣でなければならないと考えているからなのです」(天野園長)
そして、この厳しさの陰には、園長自身の人間観や教育者としての覚悟が見てとれる。以前に行われた講演録には以下のようなコメントが記録されている。
~私は、子どもたちを“私たちの命を引き継ぐ命”と捉えています。そして、“乳幼児期に人間の芯ができる”と思っています。
ですから、乳幼児期の教育あるいは保育に当たるということは、「子どもの人生に大きな影響を与える仕事でありその責任は重い」のです。「子どもたちの人生に責任を持つ」覚悟がこの仕事には要求されていると思っています。
先に生きている者として、後に生きるものたちへ、生きるために必要な大事なことを教える教育施設が私にとっての幼稚園なのです。~
~21世紀は、夢と希望に溢れた時代になると期待していました。しかし、現実は20世紀の「つけ」を背負った重たい時代になっています。この現実の中を子どもたちはどう生きていくのだろうかと考えれば考えるほど明るい気持ちにはなれないでいます。
しかし、この現実を否応なく生きていかざるをえないのが、子どもたちなのですから、それなら 自らの手で、夢と希望につながる価値観を生み出し、この流れを変えていく力を子どもたちの中に育ててやることが、私たちの責務ではないかと思うようになりました。
幼稚園で過ごす3年間あるいは2年間という短い時間の中で、どこまでそれが可能になるかと思い悩むことはしばしばですが、しかし、すべての基本になる幼児期にかかわることのできる私たちなのですから、その可能性を信じて追求してきているのです。
資産も、資金もなくあるのは情熱だけ。そして、時代に逆行するような「スクールバスなし、給食なし、延長保育なし」。そのうえ、山の上。この条件では、「子どもは集まらない」と誰しもが思ったようです。しかし、風の谷幼稚園はできました。子どももいっぱいです。
だから、どんな困難も、知恵と勇気を持ってすれば可能になります。必ず、思いを共有できる仲間がいます。
次世代を生きる子どもたちのためです。子どもたちが、一人で歩き出すその日まで、先に生まれた一人の人間として、後から歩いてくる子どもたちのために、惜しみなく力を発揮して欲しいと願わずにはいられません。~
このような覚悟を持って、大人が子どもたちに襟を正して正面から向かい合う。その上で、子どもたちが一人で人生を歩いていけるようになるために必要なことを考え抜き、それをきめ細かく教えていく。本来はこのようなことが「当たり前」に行われることを「教育」と呼んだのかもしれない。そして、この「当たり前」が「特別なこと」になりつつある現在、「言葉や文字の非力さを感じていた私は、行動をもって提言する道を迷うことなく選びました」という天野園長の行動が形となった風の谷幼稚園。ここでは、この基本に立ち返り、それを実践することで、大人の都合がまかり通る幼児教育に強いメッセージを発し続けているのである。
風の谷の教育は
「大人も学ぶ幼児教育」
筆者が風の谷幼稚園を初めて訪れたのは12年前になる。当時、起業雑誌の編集者であり「日本の教育を変える起業家」というテーマで取材先探しをしている中で、風の谷幼稚園の設立を伝える新聞記事を目にしたのがきっかけだ。「起業家」という言葉からはどこかビジネスの雰囲気が漂うのだが、当時は「自分で何かを立ち上げ、新しい挑戦を始めた人」を幅広く起業家と定義し、「教育」というテーマで挑戦をしている人を特集しようと考えた。そして、多くのリサーチを行った結果、興味を掻き立てられたのが風の谷幼稚園だった。
これがご縁となって、天野園長の幼児教育への情熱やその行動力に興味と共感を覚え、毎年何度か幼稚園を訪れるようになった。それから12年間、取材とプライベートを合わせてこの幼稚園に通う中で、大人である自分が多くのことを学ばせていただくこととなった。
例えば、本連載にも何度か登場した1400坪に及ぶ「えのき広場」ができたときのことだ。
開園前の時期、高台に建設中の校舎に向かう山道を歩きながら、「子どもたちが健全に育つには自然の遊び場が必要です。そのためにはこの土地を買って、ここに広場を作って・・・」と構想を語っていた天野園長。その当時、そのバイタリティは十分過ぎるほど伝わってきたが、その山道は雑木林の中のいわゆる獣道。広場をつくると言われても正直ピンとこなかったし、失礼ながら聞き流していたのである。
しかし、2年後、その雑木林は本当に広場に生まれ変わっていた。事情を聞けば、園長自らが「自分は10年間無給」と腹を括り、バザーなどで得た資金はすべて教育環境の整備に注ぎ込むという方針のもと、土地を買収したという。そして、当時女性だけだった園のスタッフが、休日を使って自力で「開墾」を行ったのだという。これには本当に言葉が出ないほど驚かされた。そして、このような先生たちの背中を見て育った子供が「やればできる、と思えばできる」(密着レポート第1回参照)という言葉を発したのは、当然のことのように思えた。
また、仲間を思いやり、心を通い合わせる子どもたちを見て、「この幼稚園で教えられていることを実践すべきは大人ではないか」と感じることが何度もあった。そういう意味でも、この31回の連載でお伝えした内容は、子どもたちの成長の様子を記した幼児教育実践記ではあるが、「大人も学ぶ幼児教育」として、読み返していただける機会があれば幸いである。
この奇跡の幼稚園を設立した天野園長、その方針に沿って子どもたちに向かい合う先生たち、親たち。そして、幼児期にしっかりと心の方向づけをしてもらい、「へこたれない強い心」や「人を思いやる優しい心」を身につけて、今年も巣立っていく子どもたち。ここには、未来への確かな希望がある。