第29回 「落語の会」を始めたワケ 〜天野先生のひとりごと〜

私がまだ幼稚園の先生になって間もない頃の話です。

その頃の私は、ただただ子どもたちと一緒に過ごす事が楽しくて、教育的に物事を考えるといった事は無かったように思います。

毎朝子どもたちが登園して来るのを待ち構えていて「外で遊ぼう!」と声をかけてグランドで鬼ごっこをしたりサッカーをしたりして動き回っていました。それだけに、雨が降って外に出られない日は物足りなくて、教室やホールで遊び歌の"アブラムシ“などをして遊んでいました。

子どもたちは、繋がってアブラムシになるのが楽しくて、繋がる人数を変えて大笑いしながら遊んでいたのです。

職員室に戻った時、誰に言うでもなく「うちの子どもたちは“アブラムシ”が好きで!延々とやりたがるんですよね」と、にこやかに話をした時のことでした。教務主任から「面白ければいいと言うものではない。笑いには質がある、それを考えて欲しい。」と思ってもみなかったことばが返って来たのです。

その言葉を聞いた時、頭から冷水をかけられたような、大げさに言えば一瞬思考がストップしてしまったのです。

“笑いには質がある”なんて考えた事もなかったからです。そして、アブラムシは下品な笑いの類に入るのだと知らされて、無邪気に出来なくなってしまいました。

それからです。私の“笑い”に対するこだわりが始まったのは・・・。

その頃、テレビでは漫才ブームが起きていました。しかしその漫才はどつき漫才で、相方を蹴ったりぶったりどついたりと暴力的。私は好きにはなれませんでしたが、ブームになるほど大勢の人に支持されている訳ですから、何が面白可笑しいのだろう、何で笑うのだろうと真剣な眼差しで見ていました。そしてますます「笑いって何なの?」「笑うってどういうことなの?」と混乱して行き、人が笑うのを見ては「今何で笑ったのか」「その笑いの質は?」と反応していました。これは、自分自身に対しても同じで「なぜ私は笑ったのか?」と笑うたびに自分を“分析”していたのです。その結果いつしか笑えない私になっていました。

「笑いとは何か、その質は?」で悶々としていた私は、打開策として笑いの場である“寄席”に足を運ぶことにしました。

その頃は四谷に住んでいたので、上野のすずもと、新宿の末広亭に開場と同時に入って演者さんを観察したのです。客は私だけという事もありました。堅い表情で見つめる私に演者さんはさぞかしやりにくかった事でしょう。

演目が終わったあと、わざわざ私の所においでになって「面白くなかったですか?」と問われて「いや・・その・・」と困り果てたのを覚えています。それからは、客がそれなりに入っている時を選ぶようになりました。

機会ある毎に落語や漫才に接するようになって、そして、いつしか落語の世界に引き込まれるようになっていました(どつき漫才は最後まで好きになれませんでしたが)。

落語を聞いているとそこに出て来る人たちの生活が思い浮かんできて、そこでのやり取りが何とも温かく面白く時間がゆったりと流れて行く。どんな相手でも、懐に入れて一緒に生きているそんな感じのする人情話。聞いていると自然にほほが緩み心が温かくなって行く落語の世界。

笑いにこだわった事で、知った落語の世界。沢山の人に知ってほしいと思うようになり風の谷に取り入れたのがその理由です。

さて、それでは今の私が"アブラムシ"の笑いをどう思っているかと言いますと、"ゴキブリ体操“を喜んでやっているのですから、私が求めている笑いとは昔と少しも変わっていないということです。

時間がよろしいようでー。

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