最近の親子関係を見るにつけ、今後人間社会はどうなっていくのだろうか?と何とも日 本の先行きに翳りを感じています。
私が「世の中一般」 を知るのは通勤時です。 6時30分の成城学園行きのバスの中であったり、7時52分の急行電車と新百合丘から柿生駅までの各駅電車の中の人々の行動であったり。 それに柿生駅から世田谷道路を渡って萩原先生と待ち合わせをしている4~5分の道路ですれ違うひとたちからです。
たったそれだけの距離ですが、そこで出会う人々から垣間見える生活のありように心が塞ぐのです。
また、30~40年前からのことですが、子どもは “自由に伸びやかに育てることが大事” と言う考え方が主流となり [教える] ということが片隅に押しやられてきました。そして「躾」は家庭でやるべきこととして教育現場から遠避けられて行きました。その結果どうなったかというと、30~40年前子どもだった人が今は大人になり親になっています。 どこからも 「躾」られることなく親になった人達は、 躾とは何かすら考える こともなく行動規範を持たないまま、 “子どもを自由に伸びやかに ”をよりどころにしての子育てを行っているように思えてならないのです。
今、子どもを持つ、あるいは子どもに関わっている大人たちが、子どもをより良い人間 として育てるために “大人達はなにをなすべきなのか” を真剣に考えなければならない状況にあると思っています。
(歩きながらものを食べない、飲まない。 車内では騒がない。 挨拶をする。 道路は通行人の迷惑にならないように歩く、などなどです。)
1. 子育ては自分育ての場です。
私は、母と子の絆に勝るものは無いと思っています。なぜなら、自分の体の中に命を宿し育み子の成長を待って身二つに分離した、それがわが子だからです。
昔の出産は命がけでした。 今は医療が発達しいているのでそこまでの覚悟を要求されることは無いでしょうが、それでも我が身に負荷を掛けながら命を産むのが母だからです。
そんな風に私は母たちを見ています。
そして次に母と呼ばれる様になった女性の成長についてです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、ほとんどの時間寝ています。 そして、 オムツを変えおっぱいを与えていればそのままそこにいます。子どもを産んだことで母と呼ばれる様になった人にとってゆったりした時間の中で母親練習ができるのです。
アーとかウーとかしか言わない赤ちゃんの気持ちを汲み取って、赤ちゃんにとって一番いい状態を作ってやろうとする心の動き。言葉を持たない赤ちゃんの声や動きを感じとって対応するという訓練は、赤ちゃんが成長するにともなって周りの状況を感知して自分は何をな すべきかを判断して行動していく力の基礎を作るものだと私は思っています。
また、行動範囲ゼロに近かった赤ちゃんが、成長するにともなって段々と動くようになります。 喃語が少しずつ意志をもった“ことば ”へと変わって行きます。そして、それを汲み取れるのは子どもと共に在る女性=母と呼ばれる人たちです。
少しずつ少しずつ赤ちゃんの成長に伴って、人間として成長していくのが赤ちゃんを産んだ女性の成長過程なのだと思っています。
2. 子どもの成長を支えるのは
この過程を通して、子どもは自分を全面的に受け入れてくれる人を実感し安心して成長を続け、 自我を形成していきます。
子どもが自我を持ち不十分ながらも自分の世界を広げて行こうとする時、 必ず振り返りながら前に進みます。振り返ればそこに母の眼差しがある。それが、子どもの支えでありエネルギー源になっています。
昔から我が子への愛情表現に 「眼の中に入れても痛くないほど可愛い」というのがありますが、まさに子どもは、親の目の中で育って始めて安心感を持ち、信頼感をもつようになっ ていきます。
また 「目を見て話す」ことが大事だと様々のところで言われていますが、それは 「眼は心の窓」ともいわれるように、お互いの眼を通して心を通い合わせる事になるからなのです。
親の視線を意識しながら行動範囲を広げていく乳児期。 振り返ればそこに自分を見守る母の視線があることで、 自分の世界を充実させていく幼児期。 (良く遊ぶ子ども)
3. 次の時代を生きる “人” として育てる事の大事さ。
人間として独り立ちできるようにするのが親の役割。
昔の人の子育て観は 「社会に出しても恥ずかしくない人に育てる」というものでした。
ですから、幼いうちから躾をしていたわけです。 ところがいつの間にか、社会的な存在として子どもを見る眼は減少してペット化してきているように思われてなりません。
どんな世の中でも、まさに自分らしく生きていけるように、生活力、人と関係がもてる力、どんなことにも怯まない力を育てておきたいと思うのが親なのではないかと思います。
今はそんなこと思えない、と言う気持ちかもしれませんが、ぜひ「この子は将来親元を離れて一人で生きていくのだから・・・」という意識を持って欲しいと思います。 思うだけで 子どもへの対応が結構違っていきます。
4. 子どもに何を教えるか
親の眼差しの中から、さらに一歩二歩と世界を広げ自立への道を歩きはじめるのが幼児期。この頃になると、言葉を理解し行動に結び付けられるようにもなり、親以外の人とも関係が持てるようになります。自分の力で出来ることが何よりも嬉しく感じ、それを自信として積み上げて行くようにもなります。 保護されながらも一人前に扱われることを心地よく思える時期になって来るのです。
だからこそ、 食事の自立 (自分で食べる)、衣類の着脱、排泄の自立 (出たくなったらトイ レに行くその後の処理も含めて)に重点を置いた指導が必要になります。それらを獲得するまでには子どもによって差はありますが教えれば100%獲得できるものなのです。
子どもは見ながら、真似ながら学び自分のものにして行きます。ですから小さい子ほど原則的に対応してやる必要があります。
5. 健やかな子どもに育てるために
よく食べよく遊びよく寝てそして笑い合える環境を用意することが何より大事です。
(1)体を良く動かす―山道、坂道、草原、アスファルト、砂利道などいろいろなところを歩くことで歩く力とバランス感覚が育ちます。
(2)その年齢にあった興味関心を育てることです。 それは、虫や花や水や土など自然がいっぱいある環境の中で過ごすことなのです。生きものや植物への関心を通して、みる、かぐ、さわる、味わう、聴くの五感を育てることなのです。
風の谷を卒園した子どもたちは、運動会でリレーの選手になることが多く、また文芸誌や研究発表の場などでも選ばれている事が目立ちます。
そこで改めて、風の谷の子は賢く育っているのを実感し、幼児期の生活で大事なことは何かを改めて知らされます。