29. 年長児の「相手を説得する力」 (劇作り・前編)

3学期に入ってから、たくさんの民話を読んできました。民話の世界に入りこみ、村人たちのおかしさに一緒になって笑ったり、悲しさに浸ったり、思いに共感したり・・・.。民話の中に込められている様々な思いを感じながら読んできました。
そして先日、初めて劇について話題にしました。
「今日はみんなに相談があります。風2組のみんなで劇をやってみたいと思うんだ。それについてはどうかな」と聞くと、返事はもちろん「うん、いいよ」「やりたい」。まずはホッと胸をなでおろした担任です。
劇の取り組みは、演じることの楽しさを感じるだけでなく、自分の演技が観ている人にどのように映るのか、自分を客観的に見ることも子どもたちに要求していきます。
そんな中思うようにいかず、壁にぶつかることもあるでしょうが、劇の取り組みを通して、子どもたちがさらに一皮むけてくれたらと思っています。
風2組 学級通信「麦」より

幼稚園生活も残り少なくなった年長児クラスの2月、風の谷幼稚園では「劇作り」のカリキュラムが始まる。他のカリキュラム同様、この「劇作り」に込められた教育意図も奥が深く、そして実に綿密なものだ。この内容を2回に分けてご紹介していこう。

風の谷の先生の
冬休みの過ごし方は?

さて、学級通信にあるように、先生から子どもたちに「劇作り」の提案がなされるのは2月に入ってからだが、実はここまでには周到な準備が積み重ねられている。

劇作りの指導について、真剣に議論する先生たち

その1つ目は担任の冬休み中の宿題である。風の谷幼稚園では年中児クラスと年長児クラスの担任になると、冬休みに宿題が課される。それは、3学期に行われる「劇作り」の題材となる絵本を決め、その過程でどのような指導を行い、どのようなことを子どもに学ばせるかを綿密に設計することだ。そして、3学期がスタートすると職員会議でその内容を検討し、園長や他の先生からのアドバイスを得て、さらに精度を高める。

そして、ここからが風の谷幼稚園らしいところだが、そこまで苦労して考えた題材と指導内容がありながらも、その題材を子どもたちに強制することはない。なぜなら、「いくら綿密に用意されたカリキュラムであっても子どもの自主性を引き出さない限り教育効果は限定的になる」という認識のもと、劇の題材は最終的には子どもたちの話し合いで決めることになっているからだ。つまり、子どもたちの賛同がなければ、先生の冬休みの宿題はゼロからやり直しになるということだ。(実際にはそうなることは少ない。その理由は後述)

そして、冒頭のエピソードにあるように、いよいよ「劇作り」がスタートする。先生からの提案に対して、子どもたちは題材選びを議論する。この子どもたちの話し合いは全員一致というルールのもと、「相手を説得できた方が勝ち」。つまり、自分の好き嫌いの感情で自己主張をするのではなく、「なぜ、その劇がやりたいのか」という理由を説明し、それを相手に納得してもらわなくてはならないのである。この様子を学級通信から見てみよう。

「よし、じゃあ今からみんなで決めていこう。先生は風2組のみんなが“これがいい”って思えるものがいいと思うから。まずはやってみたいお話と、どうしてそれがいいのかを言ってみて」と提案。すぐさま、パッと手があがりました。
最初に候補としてあがったものは以下のものでした。

・「島ひきおにとケンムン」 (14人)
・「へえ六がんばる 」 (7人)
・「ごんぎつね」 (4人)
・「泣いた赤おに」 (2人)
・・・・
それぞれについて“ここがおもしろいから”、“ここがいいから”と、理由を言っていきました。それを聞きながら、頷いている子もちらほら。ひとまず、自分はどれがいいと思うのか聞いてみたところ、人数はこのようになりました。(他にもたくさんの候補がありましたが、“ここがいい”という理由が明確にならなかったものは検討から外しました)
そして、それぞれがいいと思う理由は以下のようなものでした。

『島ひきおにとケンムン』(山下明生作・階成社)

○「島ひきおにとケンムン」を選んだ理由
・島ひきおにがケンムンのことを最後まで守ろうとするところがいい
・子どもたちが「誰か屁ぇこいたやつがおるな」と言い合うところが面白い
・ケンムンと島ひきおにが、これまでの自分はどうだったかと話をして友だちになるところがいい
・ケンムンとおにが友だちになって楽しく遊ぶところがいい
・面白いところもあるし、ちょっと悲しいところもあって、いろんな(気持ちの)ところがあるのがいい

○「へえ六がんばる」を選んだ理由
・へえ六さんがなんでも「へぇよごす」って言っちゃうところが面白い
・火の玉太郎が油にすべって転がりまわるところが面白い
・へえ六がかっぱのために火の玉太郎のところへ行くところがいい
・火の玉小僧と何百何千のかっぱの小僧との戦いのところが面白い

○「ごんぎつね」を選んだ理由(真・光敏・凛・智康)
・ごんが本当はやさしいきつねなところがいい
・最後の場面で兵十がごんを撃ってしまったところがいい
・兵十がごんを打ったあとで“ごんが今まで持ってきてくれたのか”と気づくところがいい
・ごんが兵十に悪いことをしたなって思ってくりやまつたけを毎日届けるところがいいと思った

○「泣いた赤おに」を選んだ理由(悠・奏)
・赤おにと人間が仲よくなったところがいい
・青おにが最後、赤おにのことを思って旅に出るところがいい

面白い話も好きだけど『面白さ』の種類が、単純に“面白おかしい”ではない理由があがりました。
風2組 学級通信「麦」より

このように意見が分かれたところで、ここからが話し合いとなる。

ここで話は一寸横道にそれるのだが、このエピソードの最後の一文にもあるように、子どもたちが演じたいと思っている物語は、単に“面白おかしい”ものではなく、喜怒哀楽のあらゆる感情が含まれている奥深い物語であることに着目していただきたい。これは年中児クラス(4歳児)と年長児クラス(5歳児)の顕著な違いである。

天野園長の話によれば、年中児時代にはやはり“面白おかしい”、そして単純明快なものを好む傾向があるという。しかし、1年間で子どもの心は大きく成長する。つまり、悲しいことや辛い感情を受容し、理解できるような心が育っているのである。これはもちろん、幼稚園の意図的な教育の成果とも言えるわけだが、この成長スピードは大人の目から見ると驚くべきことに見える。(子どもにとってはごく自然なことかもしれないが)

昨今の社会情勢を「大人の幼児化」と表現した人がいた。それはあらゆる物事において「わかりやすいもの」や「単純なもの」が「良いもの」として受け止められる傾向についてだ。もちろん、本来シンプルなことをいたずらに複雑化することは問題だが、人間の感情や社会の現実はある程度の複雑さを含んだものであろう。それを受容したり理解したりできる力量が足りないことを「大人の幼児化」と呼ぶならば、その主張は的を射ているのではないだろうか。風の谷幼稚園のレポートをしてきた立場で考えるならば、「大人の幼児化」の背景には教育の問題があるように感じられるのである。

5歳の段階で論理的な議論はできる

さて、話を本題に戻して、この後の子どもたちの話し合いの様子を再び学級通信から見てみよう。

光敏君の「兵十がごんを撃ってしまったところがいい」という意見に対して「死んじゃうのが“いい”の?」と和俊くん。
「そうじゃなくって・・・。そういう“いい”じゃなくってさ・・・」と光敏くん。
「兵十がその後、“ごんだったのか”って気づくからいいんでしょ?」と真くん。「そう、そう」と同意の光敏くんです。そして凛くんも口を開きます。
「光くんが言ってる“いい”っていうのは、感動したってことじゃない? 僕もここのところはそうだから」と言いました。
それを聞き、他の子たちにも分かる部分があるようで一様に頷いていました。
風2組 学級通信「麦」より

論理的な議論のベースには、相手を思いやる心と心の通い合いがある。

このエピソードからもお分かりいただけるように、風の谷幼稚園の年長児クラスの子どもたちの話し合いは、かなり論理的になってくる。自分の感情を表現する語彙も増えて表現力が増したことは話し合いの質をより高めている。そして、3歳児のときから着実に築き上げてきた「相手の心情を思いやれる心」は、うまく感情表現ができないでいる仲間に助け舟を出し、議論を通じた「心と心の通い合い」は深まっていくのである。

しかし、そうはいっても子どもたちもそれぞれに思いがあり、議論が簡単に収束するわけではない。もちろん、先生が介入して強権発動で決めてしまうことは風の谷幼稚園ではあり得ないことだ。では、この議論はどのように収束していくのか。再び学級通信から見てみよう。

「へえ六がいい」と言っていた二奈ちゃんでしたが、「島ひきおにとケンムン」の“誰か屁ぇこいたやつが・・・”の部分がちょっとやってみたくなっちゃった、とのこと。
「ここのところ面白いもんね。他にもここのところちょっとやってみたいっていう人いる?」と聞いてみると、「島ひきおに派」の子たちだけでなく、他の題材を選んでいる子たちも手をあげています。クラスの半数以上の手があがり、やってみようということになりました。

「あんれぇ、くせえぞー」と私(先生)が口火を切ると、子どもたちも「誰か屁ぇこいたやつ・・・」と続きました。
「おめえか?」「おめえだろ」「おらじゃねえ」と、やりとりを楽しんで―。「ケンムンどんが出たぁー」のところまでやってみると、一気に気持ちが高揚したのか、「『島ひきおに』がいい」の声が圧倒的になりました。
玄貴くん(へえ六)、光敏くん、凛くん(ごんぎつね)、悠くん(泣いた赤おに)の4人以外は「島ひきおにとケンムン」に。
「ねえ、いい? 『島ひきおにとケンムン』やろう」と説得にかかる子どもたち。「うーん」と渋っている部分もありましたが、凛くん以外の3人は「わかった。いいよ」と了解。
凛くんは、どうしても「ごんぎつね」がいいという様子。「やりたかったんだよなぁ・・・」とつぶやきます。それだけ思い入れが深いのでしょう。ですが最後には、みんなの「お願い、やろう」の言葉に首を縦にふったのでした。
「『島ひきおに』がいいって言った人たちが言ってたみたいに、このお話は楽しいところだけじゃなくて、いろんな気持ちのところがあるよね。そういうところをいろいろやってみたらどうかな」と凛くんに声をかけると、納得したように「うん」と頷く凛くんでした。
「じゃあ、風2組の劇は、『島ひきおにとケンムン』に決まりね!」と言うと「やったあ」と子どもたち。
たくさんの思いを込めながら、劇を作っていきたいと思っています。
風2組 学級通信「麦」より

先生の「あんれぇ、くせえぞー」の一言ですっかり気持ちが「島ひきおにとケンムン」に傾いていく子どもたちの様子がなんとも微笑ましい。実はこの時点で担任は「島ひきおにとケンムン」の指導要領を設計済みだ。しかし、すでにお伝えしたように先生がその内容を強制したり不自然に誘導することはないが(実際に先生の思惑と子どもたちの意思が異なり、先生がゼロから指導内容を作り直す年もあった)、このような経緯を辿って、先生の思惑と子どもたちの気持ちは一体化し、満場一致の合意形成となるのである。

このような「劇作り」の準備プロセス自体が、子どもたちにとっては貴重な機会である。つまり、自分とは違った多様な意見や感情の存在を認めつつも、最終的に1つの結論に収束させなくてはならないテーマへの適応の仕方を子どもたちに教えているのである。そのために、あらゆる機会をとらえて風の谷幼稚園では子どもたちによる議論が行われている。この周到な準備を経て合意を得た「劇作り」。この活動を通じて先生たちは何を教え、子どもたちはどのように心を成長させていくのか。この具体的な様子を次回お伝えしていこう。

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