「コミュニケーション力が大切だ」
「コミュニケーション力を育てよう」
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学校教育に関わらず、経済社会、地域社会などあらゆる場面で問われる「コミュニケーション力」。しかし、そもそも「コミュニケーション力」とはいったい何を意味しているのだろうか?これについては各人が明確な定義やイメージがないまま「便利な言葉」として使っていることが少なくないのではないか?あるいは定義があったとしても、それは各人各様で話がかみ合わない。まるで「コミュニケーション力」という言葉そのものがコミュニケーションを混乱させているような事態も少なくないように感じる。
実は2年前まで風の谷幼稚園においても、誇りを持って生きていくために必要な力として「コミュニケーション力」を掲げていた。しかし昨今、巷で言われるコミュニケーションの概念と、自分たちの意図する概念のギャップを懸念し、言葉のラベルを貼り替えることにしたという。では、風の谷幼稚園がかつて「コミュニケーション力」という言葉で表現しようとしていた概念とは何なのか?
「ひと言でいえば『心を通い合わせる力』ということです。ところが、現在は会話の技術であったり、自分の言いたいことを相手にわからせるといったような、極めて表面的で技巧的な言葉として使われることが多くなったように思います。そこで誤解を招かないよう、最近は『人や自然と交流できる力』と言葉を置き換えることにしました」(天野園長)
前置きが長くなったが、この言葉のラベルは枝葉末節の話。風の谷幼稚園で子どもたちに身につけさせようとしている「人や自然と交流できる力」の真の姿について具体的に見ていこう。(なお、今回は「人と交流できる力」に絞って紹介することとし、「自然と交流する力」については以後の回で紹介する)
人と心が通い合えば 生活は楽しい
まず、この教育目標の源泉にあるものは「人と心を通い合わせることができれば、生活が楽しくなる」という価値観だ。これについて異論のある人はないだろう。では、どうすれば、心は通い合うのか?これについて風の谷幼稚園では、幼児期の原体験が大切だと考えている。
「まず、子どもにとっての心の交流はおむつの時代から始っています。『気持ちが悪いのではないかしら』『おしっこでかぶれるのではないかしら』という自分に向けられた親の気遣いを子どもたちは受け止めています。言葉がなくても心を通い合わせることができるという経験は、子どもにとっても親にとってもたいへん貴重な原体験です」(天野園長)
また、成長していく過程において、子どもが熱を出したりたんこぶをつくってしまうこともある。そのときに親がそばにいてタオルで冷やしながら気遣ってくれる。これによって子どもたちは安心感・信頼感を覚える。そして、心がつながるということを体感する。ちなみに風の谷幼稚園では、子どもたちがこのような経験ができるように熱さまし用のシートなどは、なるべく使用しないように親に伝えている。
「親にもよりますが、シートなどで処置をすることで大人が安心し、子どもを『放置』してしまうことが一番の問題です。物理的な手当てだけで済ませるならば、心を通じ合わせる機会を大人が奪っているようなものです」(天野園長)
次に大切になってくるのが、子どもと先生との関係だ。幼稚園に入ると、まずは先生と関係を結ぶことになる。その際に、
■先生は自分のことを分かってくれる
■困った時は助けてくれる
■楽しいときは一緒に楽しんでくれる
といった「心が通い合う」経験を積み重ね、それを仲間との関係に広げていく。
「この時期は言葉で自分の気持ちを自由に表現しきれませんので、先生が子どもの気持ちを汲み取って、それを言葉にして『わかりあえる』関係づくりをしていくことが大切です」(天野園長)
幼児期の親や先生そして仲間と「心を通じ合わせた経験」が、「人と交流できる力」の基盤をつくるのである。
優しさを持つことは 人として当たり前
そして、「人と交流する力」を育てるために欠かせないのは「優しさ」という感覚・感性・価値観を教え育てていくことだという。では、その「優しさ」とは具体的に何なのか?
子を持つ親のほとんどが、我が子への願いとして「優しい子に育って欲しい」という想いを持っている。だが「優しさってどんなこと?」と改めて尋ねられると、なかなかうまく説明できないのではないだろうか。しかし、教師という仕事は「説明できない」では済まされない。なぜなら「優しさを育てる」という抽象的で曖昧なお題目を掲げただけでは、具体的な指導方法が見えてこないからだ。そこで、風の谷幼稚園では「優しさ」を以下のように定義することにした。
“人の心を感知することができ、人の心を理解することができ、そして、それに対応して行動ができること”
この定義に沿う力を身につけられるよう、さまざまなカリキュラムが設計され、一人ひとり、そして場面に応じたきめ細かい指導が行われている。
「『優しさを持つということは、人として当たり前のこと』と思うだけに、幼児期にしっかり育てておきたいと考えています。相手を気遣うことができる力、自分の行動と相手の行動を結び付けて考えられる力。そして、相手の喜びが自分の喜びに感じられるような心を持った子どもに育てたいと思っています」(天野園長)
自分と相手の行動を 結び付けて考える
では、本題である「人と交流できる力」が具体的にどのような活動・指導によって育てられるのか?今回は代表的な実践内容を2つ紹介しておこう。
まず、ひとつ目は毎年行われる合宿活動における入浴指導だ。ここでは、
■湯船に入る前には、まず汚れやすいところを洗い流してから入る
■湯船を汚さないよう、手拭いは湯船に入れない
■上がり湯をかけるときは、人にかからないようにしゃがんでかける
■風呂から上がるときは、まず手拭いで体の水気をとり、それからバスマット、バスタオルを使う
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などが指導される。
「昔は公衆浴場に行ったり、親と一緒にお風呂に入る中で、子どもは大人たちの行動を見ながらモラルやマナーを自然と学んでいました。そして、自分だけ気持ち良ければいいのではなく『次に使う人』に心を配りながら入浴する仕方を身につけていました。これによって、自分の行動と相手の行動を結び付けて考える力が育まれていたのですが、今は生活様式が変化しそんな機会も少なくなっています。このため、あえて『次に使う人』を意識して行動する教育機会をつくり、自分の行動と相手の行動の関わりを教える必要があります」(天野園長)
つまり、仲間と一緒に同じお風呂に入るという一連の行為によって、子どもたちは「次に使う人」の心情を察することを覚え「身勝手に振舞うと人に迷惑をかける」ということを体で学ぶ。そして入浴に限らずあらゆる場面において「人と気持ちよく交流するためには自分はどう振舞うべきか」を考えるようになる。
また、もうひとつの活動は、衣服を通じて親とのつながりを体感することだ。風の谷幼稚園にはオリジナルの洗濯袋がある。これは子どもが衣服を畳んで収納しやすいようファスナー部分に工夫が凝らされている(写真)。第4回「衣服の自立」で紹介したように、風の谷幼稚園の子どもは教室に着替えを1セット置いている。そして着替えた時は汚れた衣服をこの洗濯袋に畳んで仕舞い、家に持ち帰る。このときに先生は「こうしておくとお母さんがお洗濯をするときに洗いやすいんだよ」と声をかける。そして予め親には「あら、こうしておいてくれると助かるわ」と声をかけるよう指導しているという。
すると、子どもたちは親が喜んでくれることでうれしくなる。そして、子どもたちは「自分が汚した服を親がきれいに洗濯してくれているんだ」ということを洗濯のたびに意識する。このような機会を積み重ね、人との交流が楽しくなっていく。
ここで「洗濯機に入れるから畳む必要はないじゃないか」と、冷静な見方をする人がいるかもしれない。しかし、子どもたちに教えたいのは現実的な合理主義ではない。自分の行動が相手の行動とつながっているということを実感させることなのである。
モノが豊富になったことで、得たもの失ったものを考えた時、失ったもののトップにあげられるのは「自分の行動と相手の行動を結びつけて考えられる力」ではないか?天野園長はこんな疑問を投げかける。そして、その失われつつある大切な力を育てることに日々情熱を傾けている。
次回は「幼児期に大切な3つの力」の最後の項目である「問題は必ず解決できるという思考力」を紹介する。