子どもたちには『♪げんこつ山のたぬきさん』の歌に合わせて12回跳べたら“跳べた”ことにしようと伝え、それぞれのなわとびを見守っています。そんな中……。
「もう! なんでよっ!」
1人、怒り泣きをしているのは慶士くん。
慶士くんは早跳び(1拍跳び)に挑戦しているのですが、肩がぐるぐる回らず、手首で回しているため、長く跳び続けることができないのです。途中でひっかかる姿が続きます。それでもがむしゃらに跳び続けるため、しばらくそのまま見ていることに。
ひっかかるたびに聞こえてくる、「もう~っ!!」 「何でだよっ!」の声。そして涙。
「ねぇ、慶士くん。慶士くんは、肩がぐるぐる回ってないんだよ。ひじを伸ばしてごらん」
そう声をかけて跳ばせてみると、先ほどよりもひじが伸びて楽に跳べるようになった様子。
「本当だ」と、今までと何かが違うことに慶士くん自身も目を大きくします。
鳥1組 学級通信 「おおばこ」より
前回に引き続き「なわとび」の後編をお届けする。前編では「悔しい」思いからスタートすることで『プラス思考』が育っていくことを紹介した。もちろん、これはその問題を乗り越えるという成功体験がセットになって育っていくわけだが、冒頭のエピソードはその一歩手前の段階の記録である。今回は、子どもたちはどのようにしてその問題を乗り越えるのか? を詳細に見ていこう。
伝える技術があれば人生は豊かになる
やる気は満々だが結果はなかなかついてこない。このような場合は行動を分析し「どこに問題があるのか」を発見する必要があるのだが、自分自身の問題点を自分で発見することは意外と難しく、他者からのアドバイスが大きな役割を果たすことが多い。
「なわとび」のカリキュラムにおいては、開始間もない時期にまずは先生が数人の子どもにアドバイスをおくる。肩を回し、ひじを伸ばすことを指導することで数名の子どもが跳べるようになる。するとその子どもたちは、自分たちも「できない」「悔しい」という思いからスタートしているだけに、「なんとか跳べるようになってほしい」という気持ちを込めて仲間にアドバイスをおくり始めるのである。そして、このアドバイスをする役目を経験することで、子どもたちは大切なことを学ぶ。再び学級通信を見てみよう。
美緒子 「どうしたの?」
翔太 「泣いてたら跳べないよ」
瑞稀 「跳べなくって悔しいの?」
咲也香 「うっうっ……(うなずく)」
朋紀 「朋紀もまだ跳べないよ」
睦 「はじめはみんな跳べないんだよ。でもケンパー組(「ゆうびん屋さん」がきれいに跳べた人)の人は、いっぱい頑張ったんだよ」
美緒子 「あのね、美緒子も翔太くんもはじめは全然跳べなかったけど、滑川先生が教えてくれたから、それで頑張ったら跳べたんだよ。咲也香ちゃんも頑張れば跳べるよ」
瑞稀 「頑張って跳べるようになろうよ」
葉の佳 「咲也香ちゃんだって頑張れば絶対に跳べるよ」
しかし、咲也香ちゃんはうなずくことすらせず、次第に泣き声も増していきました。
そこでいよいよ先生の登場。
先生 「咲也香ちゃん、もういっぱい頑張ってるんだよね。でもなかなか跳べるようにならなくって涙が出てきちゃうんだよね。もしかして咲也香ちゃん、何を頑張ればいいのかわからなく
なっちゃったんじゃない?」
咲也香 「(大きくうなずく)」
先生 「咲也香ちゃんも、頑張れば跳べるようになるってことはわかってると思うよ」
葉の佳 「わかった! あのさ、『こうしたらいいよ』っていうのをたっくさぁーん言っちゃって、わからなくなっちゃったんじゃない?」
先生 「そうかもしれないよね。じゃあ、どうやって教える?」
翔太 「1つずつ!」
美緒子 「そう! そしてできるようになったらもう1つずつ言う。それでいい? 咲也香ちゃん」
咲也香 「(涙を止めてうなずく)」
先生 「じゃあ、咲也香ちゃんは跳ぶときに腕が下で止まってるから、止めないで腕を後ろまで回してごらん」
こうして再び跳びはじめ、仲間たちはその1つの“頑張るところ”を見てあげていたのでした。
咲也香ちゃんへの“涙を止めて一緒にやろうよ”という子どもたちの一生懸命な思いは、たくさんの「頑張る」「頑張れ」「頑張ろう」という言葉に表れていました。子どもたちの仲間を思う気持ちが伝わってきます。
ケンパー組の子たちは、仲間に教えてあげようという気持ちが強くあります。でも、当の本人は、具体的な行為のわからない「頑張れ」が苦しかったのではないでしょうか。
なわとびという教材は行動に結びつく具体的な言葉をかけるのが難しいものです。だけど、その子の課題を具体的に見て取り適切な言葉がかけられるように子どもたちを育てたいと思っています。
鳥1組 学級通信 「おおばこ」より
このエピソードからも伝わってくるように、子どもたちの仲間を想う気持ちは純粋そのものだ。もちろん、この気持ちがとても大切であることは言うまでもない。しかし、風の谷幼稚園では、幼児期にもう一段階高いレベルを子どもたちに求める。つまり、ただ自分の気持ちを「頑張れ」という言葉で伝えるだけでなく、具体的な頑張り方までを伝えられるようになることが大切な教育目標だ。
「幼児期にそのようなことができるのか?」「そこまで求める必要があるのか?」こんな疑問の声が聞こえてきそうだが、できるということは事実が証明している。では、なぜ幼児期にこれを求めることが必要なのか?
「仲間を思って“頑張れ”と言うことは大切ですが、“どう頑張ったらいいのか”がわからないと、かえってその言葉は相手を追い詰めることにもなりかねません。しかし、その頑張るべき箇所や方向性を示してもらえれば相手も受け入れやすく、問題も解決しやすくなります。さらに、そのプロセスを共有したことで本当の信頼感や心の通い合いが生まれていきます。その素晴らしさを経験させるためにも、子どもたちには具体的な言葉で気持ちを示せるように指導しているのです」(天野園長)
さらに、このエピソードにあるように、「伝えるタイミング」「1度に伝える内容の数や量」などについても、「適時」「適量」を見極める力がついてくる。すると、ますます人と心を通い合わせることは容易に、そして楽しくなってくる。
「人と心を通い合わせることは豊かで楽しいこと」という方向づけと、それを実現する基本技術は、白紙状態である幼児期にこそ身につけておくべきこと。これが風の谷幼稚園の考え方であり、4歳児にそれを教える格好の教材が「なわとび」なのである。
また、この一連の伝え方の指導は伝える側だけでなく、伝えられる側の視点からも考え抜かれている。例えば、自分である程度“できる”と思えることに対するアドバイスは素直に聞くが、“できない”と思うことに対しては他人の言葉を受け入れられないという子どももいる。このような子どもたちにとって、仲間たちからのアドバイスをもらうことにはどのような意味があるのだろう。
まず、アドバイスをしてくれる仲間は、かつて「跳べない」「悔しい」という思いを味わっている。そのような仲間からの言葉は表面的な言葉ではないだけに、素直に受け入れやすいだろう。また、アドバイス内容が具体的であるということは、それを行動に取り入れやすいということでもある。とくに「なわとび」では、「肩を回す」「ひじを伸ばす」「このタイミングで跳ぶ」といったアドバイスは短期間で結果に結びつけやすい。つまりアドバイスの効果をはっきりと体感することができる。その結果、「人の指摘を受け入れることでうまくいった」という成功体験が体に刻まれるのである。
「人の指摘を受け入れ、自分を変えていけるような力をもった人間に育って欲しい」
「どんな指摘でも受け止め、自分の糧とできるようなたくましさを持った人間に育って欲しい」
このような思いを胸に先生たちは日々の指導に当たっている。
最後には「強制執行」が待っている
実際のカリキュラムが進行していく中で、多くの子どもたちが自主的に、そして仲間からの応援によって「なわとび」ができるようになるのだが、毎年数名は逃げようとする子どもが現れる。この場合、風の谷幼稚園ではどのような考えに基づいて、どのような指導が行われるのだろうか?
「『みんなでなわとびをやろう』と言っているのに、やりたがらない子どもに理由を聞くと、例えば『砂場遊びがしたい』と他にやりたいことがあるかのように答えることがあります。しかし、よくよく観察してみれば『できないことがイヤ』で目の前の現実から逃げようとしていることが圧倒的に多いのです」(天野園長)
つまり、目の前の現実から逃れようとすることを許してしまうと、結局その子どもの中には「逃げ癖」がつく。この悪い癖は1度ついてしまうとなかなか治らないので、特に幼児期の大人の対応が重要になってくる。
まず、風の谷幼稚園では、「なわとび」が始まってしばらくの間は「やりたくない」「他のことがやりたい」という子どもを敢えて見逃してやる。これは跳べるようになっていく仲間の姿に触れたり、仲間たちからの誘いによって自主性が生まれたりするのを待つためだ。しかし、ある期間が過ぎて2学期も終わりに近づくころには、もうお目こぼしはない。「強制執行」が行われることになる。
「今日はお弁当を食べたらなわとびするよ!」
「もう! やらなきゃいつまでたってもできるわけないよね? 大事なのはすぐに跳べることじゃなくて、跳ぼうと思う気持ち!!」
今まで見逃してもらっていた子どもたちも、昨日までとは打って変わったような先生の毅然とした態度に引っ張られてようやく跳び始める。しかし、逃げたい気持ちは簡単に切り替わるものではなく、うまく跳べない最初の段階ではすぐに言動にあらわれる。
子ども「ちょっと休もうか・・・」
先生「休まない」(ピシャリと)
子ども「いつになったら帰りの会?」
先生「まだ平気だよ」
子ども「お母さんたち、待たせちゃうよ」
先生「今、“早くやめたいなあ”って思ってるでしょ」
子ども「思ってない・・・」
先生「じゃあ、腕を上にあげて“あんころもち”が跳べたら帰ろう」
こんなやり取りを続けながらも、それでも自分からやろうという気持ちはなかなか高まっていかない。ふくれっ面や泣き顔で抵抗を繰り返す。しかし、「ダメ、泣いたって。腕を上げて“あんころもち”を跳ぶまでは帰らない」のひと言で万事休す。ようやく子どもは要求されたことをやり遂げる。
このような「子どもの未来のために心を鬼にした指導」の中で、子どもたちは「逃げないで問題に立ち向かう姿勢」を少しずつ育んでいくのである。
これに関連して、天野園長は現在の保育の在り方に疑問を投げかける。
「今の保育では自分のやりたいことをやらせるというのが主流になりつつあり、自分のやりたいことがあれば、それを優先させるというような風潮が出てきています。もちろん、やりたいことをやるのは決して悪いことではありませんし、得手不得手はあるでしょう。だからといって目の前の問題を乗り越えさせなくてもいいというわけにはいきません、なぜなら『状況に合わせて行動する力』や『自分と向き合える力』が育たないからです。また、やりたいことをやっているから個性的に育っているという考えにも疑問が残ります。それでは『個性』と『わがまま』の線引きが難しくなるからです。そして何よりも問題なのは、『やりたいことをやらせる』という美名のもとで、大人が子どもに正面から向かい合わず、自分の都合で子育てをする影響が子どもの将来に降りかかってくることなのです」(天野園長)
なお、「強制執行」後の子どもたちのドラマは、仲間の存在が加わって続くが、このあたりで止めておこう。風の谷教育の真骨頂ともいえる「なわとび」についてお伝えしたいことはまだまだあるが、さらに詳しくお知りになりたい方はこの模様を詳細に記した「4歳の胸のうち」をぜひともお読みいただきたい。
そして今年、最後まで逃げていた子に対して「跳べないのは優介1人になっちゃうよ!」と涙を流して説得し、その子が壁を乗り越えた時、家に帰って我が事のように報告した子どもがいたことも付け加えておく。