30. 園児が演技に感情移入するまで(劇作り・後編)

嵐の翌日、村を捨てる覚悟を決めた村人たち。
「村人たちは、このとき、どう思っているのかなぁ」と聞くと、
「木を切った“たたり”だと思っている」
「ケンムンの木を切らなければよかったと思っている」と、子どもたち。
「どうして、切らなければよかったと思っているの? 気味が悪いからって切ることに決めたんだよね?」とさらに聞いていくと
「木を切らなければ、嵐が来ても風をよけてくれたのに、切っちゃったからもっとすごいことになっちゃったから(嵐で村が壊された)」
「もう村には住んでいられないなぁって思っている」
「また今度嵐が来たら、もう村は本当に吹き飛ばされちゃうから、村を出て行かなきゃと思っている」などと出てきました。
その後、演じてみると・・・
「木を切らねばよかったなぁ・・・」
「あの木はおらたちの村を風から守ってくれてたんだなぁ」
「だけど、おらたちは自分たちで切っちまった」
「また嵐が来たら、もうとんでもねぇことになっちまう」
「仕方がない、この村には住んでらんねぇなぁ」
というようなセリフが(子どもたちの創作によって)生まれてきました。
こんなふうに、登場人物の気持ちを探ることで、その気持ちを理解し、それが村人の会話として成り立ってきています。                               風2組 学級通信「麦」より

今回は「劇作り」のカリキュラムの後編をお伝えしていこう。冒頭のエピソードは「劇作り」の過程の様子だが、先生のきめ細かい問いかけに応じて考え、そして自分の思いをセリフにしていく子どもたち。それがまるで現実の会話であるかのように演じられていく。では、風の谷幼稚園ではこのような劇の指導を通じて子どもたちに何を教えようとしているのか。その内容を詳細に見ていこう。

日本の創作民話を
題材にする理由とは?

前回の密着レポート・前編で、年長児クラスになった子どもたちは単純に“面白おかしい”話ではなく喜怒哀楽のあらゆる感情が含まれた奥深い話に興味を示すようになることを紹介した。これは子どもたちの心が成長した証だが、「劇作り」においてはこの心をさらに大きく成長させることが強く意識されている。

そこで、まず重視されるのが劇の題材選びだ。風の谷幼稚園の「劇作り」の題材は、絵本化された日本の創作民話である。これにはもちろん理由がある。2009年度の「劇作り」の資料には、創作民話を題材に使う理由として以下の2つが記されている。

(その1)
民話(創作民話)は登場人物の“人となり”が解りやすいこと。また、物語の流れが喜怒哀楽で綴られているので、子どもたちが感情移入しやすく、表現しやすいこと。
そのため、演じながら登場人物の“心の動き”に関心をもって表現をしていくことができる。
(その2)
物語を通して、昔の人の生活ぶりに関心を持たせることができる。大道具、小道具を操作することで、よりリアルに昔を感じ取らせることができ、人間の歴史に関心を持つ第一歩とすることができる。

この2つの理由のうち、(その1)についてはご理解いただきやすいだろう。これについては後述するとして、(その2)の「昔の人の生活ぶりに関心を持たせる」という狙いは、単に教養を高めるために歴史への関心を喚起するということに留まらず、風の谷幼稚園が育てようとしている人間像と大きく関わっている。では、その人間像とはどのようなものだろうか?

結論からいうと、「いのちのつながり」を意識できる大局観と、それから導き出される美意識を持った人間を育てるということだ。

人間は過去の「いのち」を引き継いで存在し、また未来に「いのち」を引き継いでいく存在だ。言われてみれば当たり前の話なのだが、「個人」が重視される現代の社会では忘れられやすいことでもある。その結果、まるで過去や未来とは無縁に自分が存在しているような感覚を、無意識のうちに持ってしまいやすくなる。

園児たちが今回演じることとなった『島ひきおにとケンムン』(山下明生・階成社)。
後述するが、子どもたちがこの話の奥深さをきちんと理解していることに驚かされる。

そこで、風の谷幼稚園では日本の創作民話を通じて、自分たちの「いのち」の源泉にあった昔の人の生活に思いを巡らせる機会を創り出している。さらには、過去の延長線上にある現在はもちろん、自分の「いのち」が引き継がれた未来にも関心を持てる人間に育ってほしいと考えている。この大局観から導き出される良識と責任感。それに裏打ちされた思考力と行動力。これを子どもたちの中に育んでいきたい。こんな思いを胸に秘めて、先生たちは子どもたちと「劇作り」に取り組んでいる。もちろん、このような「想い」が子どもたちに語られることはないが、教育者の「想い」は子どもたちの心にきっと「何か」を残しているのではないだろうか。

つまり、風の谷幼稚園はノスタルジー(郷愁の念)や過去からの惰性で日本の民話を劇の題材としているわけではない。ここには明らかな教育意図と根拠があり、その題材として適切であると判断をした日本の民話を劇の題材に採用しているのである。

登場人物への感情移入が
「思いやりの心」を育てる

先生たちの丁寧な指導によって、子どもたちは登場人物の心情に寄り添えるようになる。
それによって自然と演技力が身につき、完成度の高い劇へとつながる。卒園前の大きなイベントを通じて、園児はまた一回り成長する。

さて、話が少々哲学的になってしまったが、ここからは再び子どもたちの成長の場面を見ていこう。(その1)の登場人物に感情移入し心の動きに関心を持つことで子どもたちにはどのような変化が生まれるのだろうか? まず、感情移入をするだけなら、読書でもその状態を経験させることはできるかもしれない。しかし、劇として演じることに意味があるという。

「幼児が物事をより深く理解するには、体感するという行為が必要だと思うのです。本を読むのはアタマの中だけの世界ですが、その本の世界を実際に演じてみることで、子どもの心は大きく揺れ動き、それが本に描かれている世界の理解を助けることにつながります」(天野園長)

つまり、実際に演じてみることで、物語への理解が深まっていくのである。ただ、実際に演じるといっても、風の谷幼稚園の指導の主眼はあくまでも「その登場人物の心情に想いを巡らせる」ことであり、「演技技術の獲得」が目的ではない。その物語の中で繰り広げられる人間の心の動きを、どれだけ我が事のように感じさせられるかが指導上の大切なポイントだ。

そのため、指導は「劇作り」の時間以外にも及び、登場人物の心情を経験できるようにきめ細かい工夫が行われている。例えば、昔話の「ひもじさ」を表現する場面の指導をご紹介しよう。その演技指導をする日には、先生が母親に子どもの朝ご飯を少なくするように依頼しておく。そして、お弁当の時間を1時間ほど後ろにずらす。すると、子どもたちのお腹はペコペコ。こうして、「お腹がすいてたまらない」という状態とはどのような状態かを体で知った子どもたちは、その感覚を演技に反映していく。さらに、劇を離れたところでは、その感覚は世界のどこかでお腹がすいて辛い思いをしている人の心情を慮る感性につながっていく。

また、子どもたちは奥深い創作民話の登場人物の気持ちに寄り添うことで、人間の複雑な感情の移ろいを感じ取れるようにもなってくる。再び学級通信を見てみよう。

第5番目の場面では、猛烈な台風が入り江の村を襲い、鬼の感情が大きく揺れ、激しく移り変わっていきます。
その時の鬼の気持ちをみんなで考えてみました。
先生:「ケンムンの命の木が倒れそうな時、鬼はどう思うかな。どう言うかな?」
「大丈夫か? 今、助けてやるからな」
「初めてできた友だちなのにぃ! 絶対に助けたいって思う」
「せっかくできた友だちが、またいなくなってしまうという気持ち」
先生:「頑張って助けようとしたけど支えきれなくなった。木が倒れてケンムンが死んじゃった。鬼は?」
「すっごく悲しい」
「また1人になっちゃった、さびしい」
「泣く。返して欲しいって思う」
先生:「そうだよね、自分の大事な人が死んじゃったんだもんね。その後、鬼は“怒りと悲しみに―”って本には書いてあるけど、この怒りは何に対して怒っているんだろう?」
「村人。村人が気味悪がって根っこを切っちゃったから弱っていって、嵐で倒れたから」
「気味悪いっていうだけで木を切って命を奪ったから」
「だから村中を暴れまわった」
ケンムンの身を案じ→失った悲しみ→そして怒りへと気持ちの変化を感じていました。
風2組 学級通信「麦」より

この『島ひきおにとケンムン』のストーリーをご存じない方には恐縮だが、絵本の世界で繰り広げられる実に複雑な心の動きを、年長児クラスの子どもたちは十分理解することができているようだ。

このように登場人物の感情を十分理解し、それを演じた劇がどれほど高いレベルにあるかは想像に難くないだろう。その様子を先生と親の間で交わす“れんらくちょう”から見てみよう。

正直申しまして、『島ひきおにとケンムン』に劇が決まった子どもたちは「へーこいたー」のセリフが言いたくて、ケンムンが人気だったという通信を読んで、少々複雑な思いでいました。いったいこの話の深さを子どもたちがどのように理解するのか、想像ができなかったからです。また、楽しいセリフにひかれている子どもに、ここまで深いものを演じさせる意図が見えなかったというのも本音のところです。ひとつ間違うと、大人の満足に終わってしまわないかというところです。

しかし、先生が発行してくださる通信を読んで、子どもたちの劇の中から生まれてくる思いを知り、こんなにも5、6歳の子どもたちが、物語の底にある人間のエゴ、生きていく辛さ、悲しみを共感し、風の谷の子どもたちの強さというのは、こういうところからも出てくるんだな、と感じました。あまりにも高いねらいで、私には想像がつきませんでしたが、劇を演じている子どもたちを観て、それが決して高すぎたわけではないこともわかりました。そして、演じるということの楽しさを、本当の意味で体得した子どもたちだと思います。いつものことながら、子どもに“本気”でかかわる先生方に脱帽! の一言です。
奏は前日に床に入ってからボソッと「奏はうまくいかないんだ」と言います。どんなところかと聞くと、「笑うところじゃないのに恥ずかしい気持ちで顔がニコニコしちゃうの」と言います。翌朝、髪を結いながら、「急にお家がなくなって逃げなくちゃならなくなったらどうする? 本当に自分がそうだと思えたらニコニコしないかもね」と話すと頷いている奏。
終わってから「奏の顔どうだった?」と聞くので「本当に困っている顔だったよ」と伝えると「自分ではどんな顔をしてたかわからなかった」と言います。なるほど、本当に心から演じたんだなぁと私もびっくりしてしまいました。                              風2組 「れんらくちょう」より

この中で親が指摘しているように、幼稚園の発表会は「大人の満足のために行われる会」になりやすいのかもしれない。しかし、風の谷幼稚園ではそんな心配は無用のようだ。

そして、ここまで本気で取り組んだ「劇作り」が子どもたちの心を大きく育てたという事実は、改めて書く必要もないだろう。

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