~遊びにあけくれた子ども時代~
私には3歳年上の兄がいる。
この兄は地域のガキ大将だった。女の子は仲間に加えてもらえない男の子集団なのだが、私は兄の力でこの仲間に加わって遊ぶことが多かった。
遊びの内容は幅広く挙げればきりがないほどだ。そして、遊びは季節によっておおよそ決まっていた。
めんこ、ビー玉、釘倒し、魚釣り、木のぼり、ザリガニ捕りにドジョウ捕りは夏場で、秋から冬にかけてはイナゴ採り、用水路でのかいぼし、野焼き、凧上げ、こま回し、竹馬などなど。季節に左右されず一年中遊んだのはチャンバラごっこや缶けりだった。
お天気の日は、ほとんど外で遊んでいた。
この遊び集団は大体1年生から6年生で組織されていたが10人前後の塊だった。
その集団のガキ大将が兄だからと加えてもらっていたが、当然ミソッカスでお荷物になれば、仲間から外される。しかし私は運良く「おとこおんな」「おてんば」と呼ばれる程に、勇気もあったし行動力もあったのでウトまれることもなく仲間の一員として遊べた。
しかし、一度だけ悔しい思いをしたことがある。
それは、3年生の頃だったと思うが、一つ年上の子と河原で相撲を取って負けたことだ。そんなはずがないと、数度挑んだものの勝てなかったのだ。
それまで、木登りも、ターザンごっこ(大きな木の枝に縄を結んで木から木に飛び移るあそび)も、お宮の屋根に登るのも、チャンバラごっこも私の方が大胆だった。だから兄の庇護があったからというだけではなく男の子たちの上に君臨出来ていたのだが、相撲での敗北は私にこの集団から離れる時期が来ていることを教えているようだった。
父も母も、私が自分より身体の大きい男の子と相撲やレスリングをするのを、機会ある毎に咎めていた。「女なんだからみっともない真似はするな」と。
4年生になると、丁度兄も、中学生になってこの仲間から自然に抜けた。それを潮時に私も抜けた。しばらくの間は、「あそぼうよ」と声がかかっていたが、こまと竹馬以外は仲間に加わらなくなっていた。
こまは、冬休みに入ると一気に盛り上がった。
皆が集まるのはお宮の境内で、こま回しの仲間には中学生も数人加わった。
回すこまは大山ごまだ。「天下取り」という遊び方で、こま同士をぶつけあって相手の動きを止めるというものだ。上手く当たると相手のこまは真っ二つに割れた。割った方は得意満面になるが、割られた方は泣き出しそうになる。そう簡単に親はこまを買ってくれなかったからだ。
1~2年生は、直径6~7センチの大きさで、力が強くなるに従って10~12センチの大きなこまになっていく。遊ぶ上で、こまの大きさの規制はないのでこま紐を強く引ける小学校高学年から中学生は皆大きなこまを使っていた。
力の弱い私は大きさでは太刀打ちできないので、工夫したのはこま紐だった。購入時こまに付いて来るこま紐は麻の紐だ。麻100%の紐だとこまに吸いつく様にはまけないので、一旦ほどいて綿の布を編み込んだ。そのうえで水に浸し麻と綿とがなじむように石でたたいて軟らかくした。こうすると力の弱い私でもこまは唸るように力強く回った。
竹馬は、近くに竹林があったこともあって簡単につくれた。のる台は固薪を手ごろに鉈で削って作った。竹馬を作るのは、どこの家でも父親の仕事であった。
男の子集団に加わって行動を共にすることは大幅に減ったものの、こまと竹馬の時期になると仲間に加わり5年生頃までやっていた。
その頃こまや竹馬は男の遊びとされていて、上手下手はあるものの男の子であればどんな子でもやっていた(その頃女の子の遊びとされていたのは“まりつき”や“ゴム跳び”だった。これはこれで面白く、学校では熱中して遊んだ)。
だから、男は「こま」と「竹馬」が出来るものと疑いもなく私は思いこんでこの歳まで来た。
「こまや竹馬が出来なければ男じゃあない!」と言う目で見て来た私にとって、「まわせない」「乗れない」男たちの出現は大きなショックだった。
~父と子の関係づくりとして~
子どもが小さいと、父親との関係づくりはなかなか難しいものがあると聞く。
男親としてどう関わったらいいのか分からないまま子どもの面倒をみているケースが多いともいう。そんなこともあって、竹馬はお父さんに作ってもらうものとして位置付けた。
自分で作った竹馬であれば、子どもが乗れるか乗れないかに関心を持つだろうし、竹馬の出来不出来も気にかけて修理をしてくれるだろうし、何よりお手本になって、父親の格好良さを見せることができればと考えたからだ。
この時点では、お父さん全員が「こま」「竹馬」は出来るものと思っていたのだ。
それが、出来ない、やったことがない、というお父さんが増えて来ているということが分かったからには、その対策を考えなければならなくなった。
~男の子が男になる遊び?~
風の谷幼稚園では4歳児の3学期に木ごまを遊びとして導入しているが、目の色を変えて遊び続けるのは男の子たちが多い。
1年前から回し続け、技に長けている年長児を横目で見ながら自分達も技をみがいている。
時には年長児の仲間に混じって、戦いを挑んでいる。
顔つきも次第に男の顔になって行く。
言葉づかいも男言葉になって行くのが面白い。「こまやろうぜ!」「オレのほうがよく回っているぞ!」「オレたちの仲間な!」などなど。また、不思議なのだが互いに呼び捨てで呼ぶようになってくる。
園では男女の区別なく遊びは提示しているが、男の子が中心になる遊びと女の子が中心になる遊びがある。
ちなみに“あやとり”は女の子が中心に技を磨きながら遊びの輪を広げている。
勝った、負けたの勝負がどうも男の子を熱中させているように思える。
~男女の差が出ない竹馬~
竹馬は5歳児の同じく3学期での導入だが、こちらは男女関係なく技を磨いていく。
平らな場所で歩けるようになると、坂道や階段のぼりに挑戦し高さも節を上げて高くしていく。自在に乗れるようになると竹馬サッカー、竹馬花いちもんめ、竹馬じゃんけん、竹馬縄跳びと遊び方も高度になっていく。
~個の力を高めながら仲間と競い合う楽しさを~
遊びの面白さと言うのは、その遊びに発展性があるかどうかで決まる様な気がする。
こうしてみよう、ああしてみようという工夫や技に挑んで巧みさを獲得していく達成感。
また、遊びを通して繋がった仲間関係は信頼関係で結び付いているのが良く分かる。
こまや竹馬やまりつきやあやとりは、「むかしのあそび」と言われているようだが、子ども時代に是非遊ばせたい遊びだと思っている。
自分で目標を設定してそれクリアすることに喜びを感じ、仲間と一緒にいるからこそ互いの技磨きに熱中し、遊び方が膨らんで行く。
そして、結果的には身体全体のバランス感覚や手指の動きのしなやかさなどなどが自然と身に付いていく。
遊びは大事と、誰でもが言う。
どんな遊びが大事なのかを明らかにしながら、具体的に子どもたちに教えられる、伝えられる先生の存在がなりより求められているように思う。