第13回 心はどう育つのか~天野先生のひとりごと~

 背骨にビスを4本入れ、両足は人工股関節にして、だんだんサイボーグ化してきている私だが、手術のおかげで数年ぶりに痛みから解放された。

 靴下が履けない、人が来ても素早く玄関に出られない、電話が鳴っても7回呼び出し音が鳴らないと受話器がとれない、洗濯物を干すのが苦痛でならない(洗濯ものを干すのにこんなにも腰を曲げたり伸ばしたりするとは思わなかった)、下にある物を拾うのにしゃがみこまなければならず、しゃがみ込むと起きあがるのにつかまるものがないと立てない。
そのため、いちど座ったら家の中の移動はほとんど這っての移動になっていた。素早く動けない自分に苛立つことしきりであった。

 それでも、一人の時はいいのだが、そばに夫がいる時はストレスが最高潮に達した。
 お風呂のスイッチをつけて欲しい、カーテンを閉めて欲しい、落ちているごみを捨てて欲しい、配膳を手伝って欲しい、植え木に水をやって欲しいなどなど、夫への「して欲しい事」が増えた。
すると、これまであまり気にもしなかった夫の動きに対して「こちらがこんなに痛がっているのに、なぜ知らんぷりができるのか!」と日ごとに不満が溜まっていった。

 とくに出勤前、時間を気にしながら靴下が上手く履けず困っている私の横でテレビを見ている夫の姿に、怒り心頭の思いだった。
 また、痛み止めのテープを腰から臀部に貼る時も、上手く貼れずに苦労している姿がそこにあるのに何の反応もしない夫に最大級の失望を感じ始めていた。
 「やって欲しいと頼む時は、本当に痛くて出来ないから頼むのであって、少しでも我慢できる痛みであるなら頼んだりはしない。大げさでなく本当に痛いのだとなぜわかってくれないのだ!」と抗議もした。

 そして、「夫婦とはなんなのだろう」と真剣、深刻に考える日が続き「一緒に居る意味がないのではないか」という結論に到達していた。

 両股関節を人工関節にしたことで痛みが嘘のように消えて、夫に対する不満は日ごとに薄らいでいった。思い通りに動けるようになったことで苛立ちが消えて行ったのだ。
 日常生活が、自分の意志で思いどおりに出来ると言う事がどんなに素晴らしい事であるかをしみじみと知った。

 別居宣言を受けた夫は、心を入れ替えてだいぶ努力するようになった。

 夫との関わりを通して、様々な事を考えさせられた。

 「痛み」は個人的なものだけに、それを他の人が理解するのは難しいのかもしれない。理解して欲しいとおもうのは所詮無理なことなのかもしれない。
 だから、無理を前提にしてその時のその人の気持ちを少しでも汲とろうと心が動く私でありたいと思ったのだ。
 また、私の腕の中に居る子どもたちにも、そんな大人になって欲しいという思いを強くした。

 私は、子どもたちを育てるにあたって、常々考えていることがある。

 “労力を惜しまず、歩く事を厭わず、寒暖に左右されず行動できる子どもであって欲しい”、そして“優しく賢い子に育ってほしい”。
さらに、成長するに合わせて、「人には誠実に、物事には勇敢に、そして志を持って人の役に立つ人間」になってくれたならどんなにか嬉しいだろうと。

 私の思い描く「子ども像」、「人間像」を実現するには、具体的な実践がなければならない。
そのため風の谷では、子どもたちに相手の気持ちを汲み取ることや、その時の状況を判断して行動出来るよう指導をしている。

 例えば、言葉の獲得がまだ不十分な3歳児には、その子の思いを先生が汲み取って言葉にして相手に伝えてやったり、相手の気持ちを言葉にして伝えてもらったりする事を基本としている。この経験が、成長と共に言葉がなくても相手の気持ちを汲み取ろうとする関わりになっていく。

 先日、4歳児が二十日大根と小松菜を収穫した。収穫後は、担任が調理して昼食時にみんなで食べることを伝えている。種を撒いて、水をやり、草をむしって間引きもして大事に育ててきたものだけに、子どもの作業も丁寧になっている。
 担任は子どもたちに「小松菜は茎が折れない様に束ねてひっぱり、二十日大根は茎の根元を持って引っ張るといいよ。」と声をかける。そして、収穫した後は、「向きを揃えて籠に入れると、傷まないし料理する人がやり易い」ことを付け加える。
 すると、子どもたちの中から無造作さが消え、さらに慎重に並べて行くようになる。

 また、昼食時のお茶も「カップを一カ所に集めてお茶をいれると、早くみんなに配れるよ。そうして友だちに渡すとお弁当が早く食べ始められるからね。こぼさない様に気をつけてわたしてあげてね。」と声をかけておくと、こぼさない様に気をつけながら仲間に渡して行く。

 子どもたちは、自分がどう行動すればいいかを知り、自分の行為が他の人につながっていることが分かると、その中で、他の人への気遣いを自然体で身につけて行く。

 入園したての3歳児が泣いていると、ティッシュペーパーを取りに行って涙を拭いてやったり、泣きそうだからと手をつないで園舎内を歩いていたりする年長児。
相手の動きを見て予測して、自分が相手に対して何をしてやればいいのかを考えて、無条件で動けるようになっている子どもたちの姿を見ると、なんて優しい子どもたちなのだろうと思う。

 「優しさを育てること」を目的とした主活動はないが、一つひとつの活動や生活の中で、相手を意識し相手の立場にスッと身を寄せて、対応出来るような心の動きを育てるには子どもに関わる大人の声掛けや動きが大きく影響しているように思える。

 人のために役立つことが最良の喜びと感じる幼児期にこそ、身につけさせてやりたい心の動きだと思っている。

 私からの「こうして欲しい」という要求を受けて動く夫は、意識的に行動しなければならないためしんどさがあるだろう。
だから、私は子どもたちには、無自覚で当たり前のこととして反応できるところまで「心の動き」を昇華させておきたいと思っているのだ。

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