水曜日、「今日はこれを作ろうと思うんだ」と、子どもたちの前で円ばんを飛ばせてみせると
「うわぁ!」「すごーい」と目を輝かせ、「作りたい」「やりたい」の気持ちが盛り上がっていきました。
そこで、「円ばんはね、まんまるだと遠くに飛ぶんだよ。じゃあ一体、まんまるってどうやったら描けるのかなぁ」と聞くと、一同沈黙。首をかしげて「わからない」アピールをしてる子もいます。
そんな中、「こうやって描く」と、指で丸を描き始めた慶士くん。
すると今度はみんなも「そうそう」とうなずきニコニコ顔。
「じゃあ、本当にきれいなまんまるが描けるのか、描いてみて」
みんなが注目する中、慶士くんの描いたものは、“まるだけど、まんまるじゃない”ものでした。
すると、今度は「もっとゆっくり描けばいいよ」という美茉莉ちゃん。しかし、「さっきのよりはきれいだけどまんまるじゃない」と、子どもたちです。
「ほかにはどんな方法があるかな」
その問いかけに再び沈黙……。そのとき希海くんが1つの方法を口にしました。
「先生が持ってる円ばんをなぞる」と。実際に先生がなぞって描いてみると、それはきれいなまんまるだということがわかりました。「やったぁ。きれいなまんまるだ!」
喜ぶのもつかの間、「……でも先生のは1つしかないよ」と言うと、今度は「それはイヤだ」と一瞬にして顔色が変わる子どもたちなのでした。 鳥1組 学級通信 「おおばこ」より
これは年中児クラスの初期カリキュラムである「紙工作」の初日の様子。年少児クラスを修了し、年中児クラスに進級すると、先生の子どもたちへの接し方は少し変化を見せる。前回までご紹介してきたように、原則的な行動を体で覚える段階から、その行動の意味を少しずつ知的に理解させていくのが年中児クラスの大きな目標だ。では、風の谷幼稚園では「紙工作」を通じて、子どもたちに何を教えようとしているのか。学級通信の抜粋を中心に紹介していこう。
基準があるからこそ自分で判断できる
まず、このカリキュラムの大きな狙いは、子どもたちに「基準を持たせる」ことであるという。基準という言葉を辞書で引いて見ると「物事の判断の基礎となる標準」とあるが、さまざまな取り組みにおいて「どういう状態になれば良しとするのか」という基準を自分の中に持てるよう導いていくのである。今回の「紙工作」でいえば、「まんまる」という状態が具体的な基準となる。「まんまるとはいったいどんな状態か」を理解し、「どうすればまんまるのものを作れるのか」という問題に立ち向かい、そして試行錯誤の結果、その基準をクリアできているかどうかを自分で判断できるようになることが目標だ。
「実際にこのカリキュラムの初期段階の子どもたちは、『先生! これ、まんまる?』『これはどう?』と聞いてきます。その言葉の意図は2通りに分かれます。まんまるが描けたといううれしい気持ちを先生と共有したい思いで言ってくる場合と、自分ではきれいとは思えないけれどもう一度描き直すかそのまま切っていいのかの判断を先生に委ねたい場合です」(滑川教諭)
子どもが後者のときには「自分はどう思う?」と声をかけていく。このときに大切なのは“まんまる”の基準を子ども自身が持っていることが前提だ。これは大人でもそうだが、単に「自分はどう思う?」と言われても、基準となるものがない限り「何とも言えない」のである。特に大人と違って、他に応用がきく基準を持たない子どもに判断を尋ねる時には、まずこのことに注意を払う必要がある。つまり、判断をさせるということは基準があってこそできるのであって、単に自分の主観を表現させることとは別物なのだ。
基準の存在が成長意欲を引き出す
では、基準を持たせるといっても、具体的にどうすればいいのだろうか? ここで今一度、学級通信を見てみよう。
実際に先生が描いたまんまるを見て、「すごーい」「きれーい」と目を丸くして驚いていた子どもたち。
“まんまる”が共有のものとなってからさっそく作り始めました。
紙工作では、見通しを持って取り組んでいけるように一つひとつの指示ではなく、作り方を一通り最後まで説明し、取り組ませています。
その中で必ず出てくるのが「わからない」「できない」の言葉です。しかし、“わからないときはどうするか”、たとえば人のを見たり聞いたりしながら解決方法を学ばせていくということもねらいの1つなのです。そのため、こちらとしてもその言葉を待っていたのですが、なんと予想外にもあまり聞こえてこないのです。
“なんで!?”と、私の頭はハテナだらけ。しばらく子どもたちの姿を見ていると、どうやら早く飛ばして遊びたい気持ちが先行し、意識の持続(集中力)が必要とされる糸をピンと張るのも、なんとなくまるが描けていればよしとして切り始めてしまうため、「できない」の言葉もあがらなかったのです。
「うーん? これはまんまる……?」と聞くと、「うんっ!」と満面の笑みで返す、
円ばん作り1日目でした。
円ばん作り2日目の木曜日。朝から円ばんが作りたくてたまらない様子の子どもたち。
「ゆっくりでも丁寧にまんまるの円ばんを作ることが大切だよ」と話し、作り始めさせると……。
「先生、見て。昨日よりもまんまるでしょ」「まんまるに描けないよ」「できないよ」と、前日とは比べようにもならないぐらい“まんまる”を意識している子どもたち。
前日は小さなゆがんだ丸でも「いいの」と言っていた葉の佳ちゃんは何度も何度も鉛筆の跡を消してきれいなまんまるを描こうとし、まんまるは描けるけれども切る際にゆがんでしまっていた和子ちゃん。そして慎重に切っていく楓くんの姿がありました。円ばん作り2日目にして“質”に目が向けられるようになったようです。 鳥1組 学級通信 「おおばこ」より
この記述からもわかるように、まずは “質”に目を向けさせることが第1だ。これには大人のきめ細かく意識的な指導が欠かせない。そして次に、基準を満たすことがどういうことかを体感させることが重要になってくる。この「紙工作」でいえば、まずは「まんまるを描く」ということが第1の関門だ。さらには、それをハサミで「まんまる」に切れることで基準をクリアする。この基準がクリアされてこそ、きれいな円盤がスムーズに飛んでいく喜びを体感することができる。
この一連のプロセスにおいて、先生たちはときにはやさしく、ときには厳しく、基準を満たすことを求めていく。学級通信には以下のようなエピソードが記されている。
「ほら。まんまるー」
少々ゆがんだ円ばんを見せに来た紗耶ちゃん。
しかし、その顔は自分で納得しているまんまるではなさそう。
「うーん。紗耶ちゃんはもっとまんまるに作れると思うよ」と、一緒に1枚作ってみることにしました。
糸を張ってまんまるを描く際、多少ゆがんでも「できたっ」という紗耶ちゃん。しかし、“もっときれいなまんまるになるはず”と、ゆがんだ箇所だけ何度も消してあげると、そのうち「あーっこれはダメだ」「うーん、もう1回!!」と自分で言うようになったのです。そうして約20分かけて作った1枚の円ばん。とってもきれいなまんまるです。
「紗耶ちゃん、見てごらん。これがさっきまで“まんまる”って言っていた円ばん。そしてこれが今作った円ばん。まんまるってこういうことを言うんだよね」
自分で作った2枚の円ばんを見比べてうれしそうに大きくうなずく紗耶ちゃんでした。
“まんまる”の基準が持てたことできっと次回からは“きれいな円ばん”に意識を向けていくことでしょう。 鳥1組 学級通信 「おおばこ」より
最初は基準という概念も知らない子どもたちは、先生の導きによって基準という概念を体で覚え、知的に少しずつ理解していく。そして、その基準をクリアした喜びが、「自己肯定感」すなわち客観的な自信につながり、「もっと成長したい」という意欲を引き出していく。これが風の谷幼稚園の年中児教育の1つの柱なのである。
さて、今回紹介した「紙工作」の教育意図は、実はまだその一部にすぎない。文字数の関係上、その具体的内容は次週の後編でお伝えすることにする。