画用紙1枚からの箱作り。「えっ! これで?」とたじろいだ子どもたちでしたが、すぐに「はさみが必要」「セロテープも」の声があがりました。「必要な物は開き戸から出して使ってね。大きさはどんな大きさでもいいよ。箱を作ってごらん」とだけ伝え、あとは子どもたちが作っている様子を見ることに徹した先生。「へぇ~」「ほ~」と心の中で呟きながら、ニコニコ見守る先生とは対照的に「う~んと・・・」「あれ~?」とあれこれ考えながら、切ったり、貼ったり、折ってみたり・・・箱作りに試行錯誤する子どもたち。そんな子どもたちの様子に「そうそう、いっぱい考えな。いろいろ試してごらん」と思いながら、ますますニコニコの先生なのでした。
風2組 学級通信 「麦」より
今回は年長児クラスの6月から取り組む「箱作り」について紹介する。このカリキュラムの一番の教育意図である「問題は必ず解決できるという思考力」については密着レポート第7回「失敗を諦めず、悔しさを感じる子を育てる」で紹介したが、これに付随する教育意図もたいへん興味深い内容だ。その詳細をお伝えしていこう。
箱って何?
どんな構造になってるの?
この教育意図を紹介する前に、風の谷幼稚園の教育意図の在り方について触れておこう。まず、風の谷幼稚園においては特定技能の獲得を主眼にしたカリキュラムは存在しない。あくまでも主眼は「心を育てること」であり、特定技能はその結果として「ついてくるもの」と考えられている。
例えば、密着レポート第15回・第16回でご紹介した年中児期における「なわとび」の主たる教育意図は、「“問題にぶつかってもなんとかなる”と思えるプラス思考」の育成であり、人の気持ちを察したり、具体的なアドバイスができるようになることで「人と心を通じ合わせられる力」を育てることだ。決して「なわとびが跳べるようになること」が教育目標ではない。心の教育を行った結果、ほとんどの子どもが「なわとびが跳べちゃう」のである。これはすべてのカリキュラムに共通している考え方だ。
この「箱作り」のカリキュラムも、もちろん同じ考え方に従っている。あくまでも主眼は、「問題は必ず解決できるという思考力」を育てることだ。しかし、結果として身につく技能について、先生たちが全く無頓着ということではない。なぜならば、技能の獲得は心の成長と表裏一体という側面もあるからだ。つまり「より高い技能を獲得しよう」と思うことで心が育つこともあれば、基礎技能があるからこそ難しい問題に立ち向かっていこうという姿勢が生まれることもある。そして、技能を獲得したことで人に貢献できる機会が増え、それが「誇りを持って生きていく」ことにもつながっていく。このような認識がある。つまり、「心を育てることが第一で、技能の獲得は第二」という軸は不動だが、「心が育った結果、このような技能を身につけていてほしい」という結果にも十分な心配りがなされているのである。
前置きがずいぶんと長くなってしまったが、この「箱作り」においての狙いは、箱の構造を理解し、作業工程を見通し、計る、切る、組み合わせる、釘で打つといった技能の獲得だ。先生たちは心の指導を第一としつつ、これらの技能の獲得を視野に入れて指導に当たることになる。この指導は実際にどのように行われているのか。学級通信を見てみよう。
「みんな、箱ってどんな物? どういう箱を知ってるかな?」
「お菓子が入ってる四角い箱」「前の風組がロッカーに入れてた箱」「クレヨンの箱」・・・「あっ、それじゃあ絵の具の箱もだ」などと様々な意見が出ました。
そして「じゃあ、教室の中にどんな箱があるか、箱を探してみよう。箱だと思う物を持ってきてみて」と箱探しをしてみました。
すると
・連絡帳入れ
・鉛筆入れ
・図書カード入れ
・はさみの入れ物
・折り紙入れ
・紅白帽入れ
等々、他にもたくさんの“箱だと思うもの”を持ってきていた子どもたちでした。
風2組 学級通信 「麦」より
「箱とはこんなもの」と教えるではなく、「箱ってどんなもの?」を自分で考えるように先生が問いかけていく。そして、箱について自分で考えるように促した結果、子どもたちは、箱という言葉で表現できそうなものを自分で考え、続々と持ち寄ってくる。すると、何人かの子どもが折り紙入れや紅白帽入れを指して、
「それは箱じゃないよ、カゴだよ」
何人かの子どもたちがそれに賛同する。そこで、先生が
「じゃあ、箱とカゴの違いは何なのかなあ」
と質問すると
「あのさぁ、穴があいているのがカゴじゃない?」
という発言にみんなが「そう、そう」と納得。「側面や底に穴があいている(網状になっている)入れ物」が“カゴ”で、そうではないものが“箱”ということで、全員のイメージは共有化されていく。
実際に辞書をひいてみると、“カゴ”とは「何らかの素材で編まれた物を入れる器」であり、“箱”とは「物を入れる器」であり、明確な区分は難しい。ただし、これらの意味上の違いは上の学校に行って理解すればよいことで、ここで大切なのは「自分で考え、みんなで話し合ってイメージを共有する」というプロセスだ。
そして、“箱”のイメージが共有されたところで、今度は先生が「今から画用紙で箱を作ってみて」と、子どもたち一人ひとりに画用紙を配る。ここで冒頭のエピソードでご紹介したように子どもたちは一瞬たじろぐ。それはそうだろう。平面から立体を作るということは、子どもたちにとってみれば「???」。人生で初めて出会う難問だ。
しかし、ここは“柔軟さ”という長所を存分に発揮し、子どもたちはいろいろと面白いものを作る。三角の筒を作って望遠鏡のように覗いて遊ぶ子ども、四角の筒を作って腕に通して遊ぶ子ども、画用紙を切り分けてセロテープでとめて“箱”を作る子ども、蓋つきの“箱”を作る子どもなどさまざまだ。そして、みんなが“箱”を作り終わった後、「“箱”とはどういうものなのか?」を再び議論する。その結果、「“箱”とは向かい合う辺の長さが同じ」という構造上の特徴が、5歳の子どもたちの議論から導き出された。
余談だが、小学校に進学した卒園生の父兄の話によると、平面の素材から立体(箱)を作るという課題が与えられた授業で、これに答えられたのは風の谷幼稚園の卒園生だけであったという。これは幼稚園での箱作りのカリキュラムを経験していることもあるだろうが、5歳児の段階ですでに“箱”の構造上の特徴を考えだせるほどの子どもたちだ。受験対策学習はしなくとも、日常の遊びの中で鍛えた「地頭の良さ」は、小学校の授業でも活かされているのである。
さて、この画用紙での「箱作り」が終わった後は、今度は厚紙を使っての箱作りだ。箱の特徴を理解した子どもたちの作業はスムーズに進む。そして、いよいよ本番である木材を切り出しての「箱作り」に移る。
道具は正しく使えば
危険な物ではない
「失敗してもやり直しがきく」ということを体感させるために、年少・年中・年長と行われる「木工作」。年長になって大きく変わるのは“のこぎり”を使うことだ。これまではあらかじめ木片が準備されていたが、5歳になると自分で板を切り、材料から自分の手で作る。
年長とはいえ、まだ5~6歳の子どもに“のこぎり”を使わせるということに驚かれる方も少なくないだろう。「もしもケガをしたらどうするのか?」ということを真っ先に考えてしまうのが現代人かもしれない。しかし、これについて風の谷幼稚園の考え方は明快だ。
「道具とは本来、用途に合わせて使えば危険なものではありません。用途に合わせた使い方をしなかったり、手入れが行き届いていなかったりすることが事故の原因となるのです。使える道具が増えるということは、作れるものが増えるということ。年齢に応じて使える道具を増やしてやるという発想が大切です」(天野園長)
正しい指導を行えば、5歳児の段階で“のこぎり”や“包丁”を使うことができる。これが事実であることは、風の谷幼稚園の実践が証明している。(もちろん3歳児からの着実な積み上げがあるからこそ、可能なことではあるが)
ちなみに、風の谷幼稚園の“のこぎり”は常にピカピカに手入れされ、そして買い替えのサイクルも速い。これはもちろん、「切れ味の悪さが原因で子どもたちにケガをさせることがあってはならない」という考え方に基づくものだ。風の谷幼稚園では「ものを大切に使う」「無駄遣いはしない」という考え方は徹底されているが、安全性を犠牲にしてまで、ものを長く使ったり、節約をするような本末転倒は起こらない。
これも余談ながら、風の谷幼稚園で「少し切れ味が落ちてきた」と判断した“のこぎり”があった。ところが、ある小学校の先生からすると「これはよく切れる“のこぎり”だ」ということになって、風の谷幼稚園のお下がりの“のこぎり”が小学校に引き取られたこともある。それほど風の谷幼稚園の道具の管理は行き届いている。
また、子どもたちには、 木の切り方はもちろん、“のこぎり”を持って歩くときは、刃をぴったりとお腹に当てて、細心の注意をしながら移動するように指導される。こうすれば、刃が人に当たってけがをすることはないのだ。
子どもたちに可能性が広がる実感を
「万が一」の確率で発生する事故に神経をとがらせ、そのリスク、あるいは責任を回避するために、「全面禁止」の処置をとることがある。もちろん、やむを得ないケースもあるのだろう。しかし、「万が一」を避けようとするがあまり、普通に事が進めば学べるはずのことが学べなくなる。この社会的損失も考えなくてはならない。
確かに、身内が事故に巻き込まれた時のことを考えれば、意見はネガティブな方向に流れやすい。しかし、これも行き過ぎると個人の生活力は低下する一方だ。特に刃物のように「便利だが危険性を伴う道具」の教育については、教えるべき時期や常識や技能、あるいは学校教育と家庭教育の役割分担など、多様な観点からの検討が必要だ。
風の谷幼稚園では多様な観点から考え抜いた結果、現在のような指導を行っているのであり、適切な指導を行えば “のこぎり”は5歳児に十分扱える道具と判断している。そして、自分の手で道具を使いこなし、新しいものを自分の手で生み出し、「自分の可能性が広がっていく実感」を持たせることこそが、この時期には欠かせない教育だと考えているのである。
このような教育が実践されるには、教育者の覚悟・見識・実行力と、それをとりまく父兄やマスコミなどの教育への理解と知性の両輪が必要になってくる。さて、現在の社会に欠けているのは、どちらの車輪だろうか?